イーゴリ・エヴドキモフ

駐ベナン共和国および駐トーゴ共和国(兼任)ロシア連邦特命全権大使

(翻訳:福田知代)


2021年2月15日から17日にかけて、トーゴ共和国外務大臣R.ドゥセによるロシア実務訪問が行われた。訪問の枠内で、2月16日にサンクトペテルブルクにおいて、ロシア連邦外務大臣S.V.ラヴロフとの公式会談の場が設けられた。「今日は歴史的な日となりました。今日我々は、トーゴの外務大臣を歴史上はじめてロシア連邦にお迎えしています」ーラブロフ外務大臣は、ドゥセ外相に対してそのように述べた。

会談は建設的で友好的な雰囲気で行われ、国際的、地域的および相互的な議題といった多くの課題において、両国の立場の一致または近似性が明らかとなった。これに関しては後ほど詳しく述べる。

まずは、トーゴの歴史および現在の姿がどのようなものであるかを理解するところから始めよう。

トーゴは、西アフリカに位置する人口830万人の小さな国で、世界地図で見ると、ベナンとガーナの間の細い帯を思わせる形をしている。それにも関わらず、その領土(5万6千平方キロメートル)は、現在のベルギーの面積(3万500平方キロメートル)のほぼ二倍である。

この国の自然は極めて多様である:トーゴ北部には平野が広がっており、中央部には、平均して標高200から400メートルの高地、南部には、ラグーンの広がる沿海の平野と、国の南西から北東へと走る褶曲山地がそびえている。

国の名前は、トーゴという同名の湖から取られており、エゥエ語から翻訳すると「ラグーンがある側の地域」を意味する。

かつてのトーゴは、世界史のもっとも暗いページと不可分の関係にあった。その沿岸は、15世紀から19世紀にかけて、奴隷貿易の主要な中心の一つとなり、そのため、この絵画的な地域には「奴隷海岸」という名が付けられた。19世紀末に、現在のトーゴの国土の植民地化が始まった。1884年から1914年にかけて、ドイツの保護統治が敷かれ、ドイツ帝国の支配は、地域の政治的指導者らの合意を得て、徐々に拡大していった。

ドイツが第一次世界大戦で敗れると、トーゴランド(ドイツ語での名称)は、戦勝国――フランスとイギリス――の委任統治領として二分され、フランス領トーゴとイギリス領トーゴが形成された。1927年から1929年にかけて制定されたこれらの領土の間の国境は、現在はトーゴとガーナの国境となっている。1956年から1957年にかけて、イギリス領トーゴはガーナの一部となり、同時期に、フランス領トーゴは自治共和国の地位を獲得した。

1960年4月27日、トーゴ共和国は独立を勝ち取り、1963年に現在の名称――トーゴ共和国――となった。

ソビエト連邦は、この若い西アフリカの国家の独立を承認した、最初の国々のうちの一つであった。1960年5月1日にはすでに外交関係が結ばれ、ジャバル・ラスロヴィッチ・ラスロフが初代駐トーゴ共和国ソ連大使となった。1960年8月9日、彼は、トーゴ共和国初代大統領シルバヌス・オリンピオに信任状を授与した。ソ連時代に両国の関係は活発な発展を見せ、経済、商業および技術協力の分野における一連の政府間合意が締結された。人道的分野における協力も、大きな意義のあるものであった。800人以上のトーゴの若い専門家がソ連の大学で教育を受け、その後彼らはトーゴ共和国のために尽力したのである。

ソ連崩壊と、ロメにあった大使館およびソ連通商代表部が1992年に閉鎖された後は、相互関係の規模は目に見えて縮小した。けれども近年、ロシアとトーゴの関係は、新たな動きを見せている。ハイレベル・トップレベルでの両国のコンタクトが、かなりの程度で活発化しているのだ。

2018年6月5日、新たなロシア大使から信任状を受け取ったトーゴ共和国大統領フォール・ニャシンベは、現代の世界情勢における建設的で安定的なロシアの役割と、国際的なテロリズムと過激主義との闘いにおけるロシアの意義ある貢献が、トーゴ国内で高く評価されていると述べた。お説教的なヨーロッパ先進国とは異なり、相手国の国際社会でのウエイトの大小に関わらず、モスクワが外国との相互関係において丁重なトーンを欠かさないことが、アフリカ人に大きな感銘を与えているのである。ロメでは、政治的、商業・経済的、軍事的、人道的なものを含む、あらゆる方向でのロシアとトーゴの協力関係を活発化させる機運が高まっている。

2018年7月、ヨハネスブルク(南アフリカ共和国)で開催されたBRICs首脳会議の場で、ロシア連邦大統領V.V.プーチンとトーゴ共和国大統領F.ニャシンベの初めての面会と会談が実現し、2019年10月、トーゴ共和国の大統領は、ソチで開催された第一回ロシア・アフリカサミットに精力的に参加した。2018年6月、ロシア連邦近東およびアフリカ諸国担当大統領特別代表M.L.ボグダノフ外務次官がロメを実務訪問し、F.ニャシンベ大統領と会談した。2月に実現したトーゴの外務大臣のサンクトペテルブルク訪問までに、両国の外交省庁のトップであるS.V.ラヴロフとR.ドゥセは、2019年および2020年の2月にミュンヘンで開かれた安全保障会議の場で、すでに二度の面会を行っている。

R.ドゥセの現在のロシア訪問は、ロシアとトーゴの関係発展の新たな重要な段階となり、共和国がとっている、国際舞台におけるパートナーの多様化の方針を裏付けるものとなった。同様の多方面に渡る外交の傾向は、一連のアフリカの国々に見られるものである。そしてこれは、偶然に起こっているものではない。長きに渡る植民地政策のくびきの下にあった大陸の国々は、西側の列強がアフリカ諸国と接する際に取る訓戒的なトーンに辟易していた。

そのため、アフリカの国々は、以前に増して、ロシアが提案するヨーロッパに代わるアプローチに注意を向けるようになっている。国際社会における我々の方針のより積極的な支持もまた、そのような事情によるものである。こういった中で、2020年、第75回国連総会の枠内において、トーゴ代表は、ロシアの一連のイニシアチブを支持し、このうち、「ナチズムの英雄化、ネオナチズムおよび現代的な形態での人種主義、人種差別、外国人嫌悪やそれらに関連する不寛容の拡大を助長するその他の種類の慣行との闘い」および「犯罪目的での情報通信技術の利用への抵抗」の決議のロシア代表案の共同執筆者となった。

国際情報セキュリティの課題に関して、トーゴの立場も「進化」した。国際情報セキュリティに関するロシアのイニシアチブを丹念に研究し、情報セキュリティに関する議論において、モスクワが、あらゆる国の平等の権利と十分な価値のある参加を擁護していることを評価した上で、トーゴ外務省のトップは、ロシアの案に賛成することを決めたのである。トーゴ共和国は、クリミア問題に関しては、控えめな立場を取っている。西側からの強いプレッシャーを受けているにも関わらず、ロメは、キエフやその西側のスポンサーが扇動しようとしている反ロシアの熱狂に屈してはいないのである。

トーゴ人は、アフリカの問題(それも、相当な数の)には、アフリカの決定が必要不可欠であるという点においても、我々に同調している。外からの介入は、明らかに、状況を悪化させるだけである。危機の調整に向けた同様のアプローチは、トーゴに直接に関わるものであり、そのため、ロメは、アフリカ大陸における数多くの紛争の解決に積極的に加わっている。これが、マリの安定化に向けた国連平和維持軍において、トーゴ共和国の兵士がもっとも人数の多い(1000人以上)所以である。

両国の大臣による会談の中で、双方は、トーゴとその他のギニア湾沿岸の国々にとっての現実的な脅威であるテロや海賊行為との闘いにおいて、対応を強化することの必要性を指摘した。国際的、地域的な課題についての「共同歩調」のほかに、両大臣はロシアとトーゴの間での商業・経済的、投資的なあらゆる複合関係の活発化と徹底の必要性について述べ、エネルギー分野、インフラ整備、有用鉱物の調査と採掘、輸送、農業生産物の加工、デジタルテクノロジー、軍事技術的な協力といった分野における共同プロジェクトのための具体的な可能性を探ることで合意した。このような相互への高い関心は容易に理解できよう。COVID-19のパンデミックにも関わらず、2020年のトーゴとの取引は(ロシア連邦税関のデータによると)、2億8300万ドルに上り、今後も拡大していく潜在性を有している。トーゴ共和国は、ロシアの石油製品、可燃性液体類、金属圧延加工品、化学工業製品および紙パルプ工業製品、鉱物肥料の輸入国である。

会談は、両国間の人道的な関係の発展にも新たな弾みをつけた。S.V.ラヴロフは、トーゴの外務官僚のための、ロシア外務省附属外交アカデミーにおける研修の実施を提案した。このほか、トーゴの要請により、トーゴ人に割り当てられている国費奨学金の年間給付額を引き上げることが決定された(R.ドゥセによると、彼の近い親戚5人が、ロシアで素晴らしい高等教育を受けたそうである)。

トーゴの大臣は、ロシア製のワクチン「スプートニクV」にかなりの関心を示した。彼は、その高い効果を指摘し、ごく近い将来、国民への大規模ワクチン接種開始に向けて、「スプートニクV」を共和国へ調達することに関する両国の合意が首尾よく締結されることを期待している、と述べた。

今回の訪問は、両国関係の合意の法的基盤の強化にも寄与するものであった。会談の締めくくりとして、ロシア連邦政府とトーゴ共和国政府との間で、外交官または政府職員に対するビザの相互撤廃と、宇宙空間に率先して兵器を配置しないことに関する共同声明が調印された。

会談の好意的で温かな雰囲気と、そこで出された実際的な結論は、ロメとの間の多方面に渡る協力関係に、相当な潜在性があることを示すものであった。モスクワの政治がアフリカに向けられることを、西側諸国が妨害しようとしているにも関わらず、トーゴは、大陸のその他の国々と並んで、ロシアを、信頼できる、経験に裏打ちされた、平等と相互利益の尊重という基本原則の上に二国間関係を構築する用意のあるパートナーとして見ているのである。S.V.ラヴロフは、R.ドゥセとの共同記者会見の中で、「敵―味方」の原理に基づく相互関係を容認することはできない、と強調した。「我々が、誰かと対立するために誰かと友好関係を結ぶということは、決してあり得ません。もし、ロシアと外国のパートナーが相互的な欲求を有しているのだとしたら、我々は、合意できる形で関係を発展させていく権利を100%有しています。他の国々もこのような結論を導き出し、教訓を得て、我々とアフリカとの間の関係性に敬意を払ってもらえれば、と願っています」とラヴロフ大臣は指摘した。アフリカのパートナーらは、すでに自らの結論を出し、モスクワとの多層的な協力の発展へと舵を切っている。

サンクトペテルブルクを発つ際、R.ドゥセは、ロシアの北の首都の美しさと偉大さに心を奪われ、また、温かく手厚い歓迎のおかげで、二月の極寒を切り抜けることができた、と述べた。トーゴの大臣は、答礼訪問でロシアの同僚をロメに招待し、S.V.ラヴロフも、招待をありがたく受けた。これは、両国がお互いに歩み寄る、新たな重要な一歩となるであろう。

By KokusaiSeikatsu

『国際生活』はロシア連邦外務省を発起人とする、国際政治、外交、国家安全保障の問題を取り扱う月刊誌です。創刊号は1922年、『外務人民委員部週報』として出版され、1954年に『国際生活』として、月刊誌として復刊しました。今日、ロシア国内だけでなく、世界各国においても幅広い読者を獲得しています。