中国は、ミャンマーのかつての軍事体制と好都合な関係にあった。そしてアメリカは、2010年代初めにネピドー=北京の関係が「おしまい」になるだろうと期待していた。けれども中国は、アウンサンスーチーとも友好関係を築くことに成功する。今日、中国はシンガポールと並んで、ミャンマーにおける最大の投資国となっている。中国とミャンマーをつないでいるのは、ベンガル湾沿岸から中国の雲南省へと延びる石油とガスのパイプラインである。中国・ミャンマー経済回廊の枠内で、昆明(中国)からマンダレー、ヤンゴンと、ラカイン州にあるチャオピュー経済特区(SEZ)までの高速鉄道と、チャオピュー経済特区における深海港の建設が計画されている。

ミャンマーと中国を決裂させることはできないと確信した後、ワシントンの戦略は、市民権が侵害され、少数民族と宗教的少数派に対するジェノサイドが行われているミャンマーの国家的信用を失墜させるという以前の方向性に立ち返った。この計画において、イスラム系少数民族ロヒンギャをめぐる危機に戦略の中心がおかれた。

ミャンマーの「コソボ人」

この危機の進展は、多くの点において、1999年のユーゴスラビアにおける、現在のセルビアからのコソボの分離独立をめぐるNATO作戦の前夜に起こったことを彷彿とさせる。イスラムを信仰するロヒンギャは、バングラデシュとの国境に位置するラカイン州の北部に暮らしている。外見、言語、文化、宗教の面で、彼らは、ラカインに住む人々やビルマ人とは大きく異なっているものの、同時に、これらのあらゆる点から見て、バングラデシュの南東に位置するチッタゴン地区に居住するベンガル人と、実質的に違いはない。中央政府にとっても、大多数のミャンマーにとっても、ロヒンギャは、何よりもまず、「ミャンマーの『コソボ人』」とも言うべき、外国からの不法移民なのである。

注目すべきは、ミャンマーの民主化が行われた期間中、社会団体や政治団体による、ロヒンギャを代表した発言が見られなかったということである。これとともに、この期間、ロヒンギャの包領内で、イスラム過激派の活動が急速に活発化し、武装部隊が組織された。2016年と2017年には、ロヒンギャの武装隊員による、バングラデシュとの国境に展開する政府軍の拠点への一連の攻撃が行われ、軍人や市民の間に多数の犠牲者が出た。

By KokusaiSeikatsu

『国際生活』はロシア連邦外務省を発起人とする、国際政治、外交、国家安全保障の問題を取り扱う月刊誌です。創刊号は1922年、『外務人民委員部週報』として出版され、1954年に『国際生活』として、月刊誌として復刊しました。今日、ロシア国内だけでなく、世界各国においても幅広い読者を獲得しています。