しかし、同文書は、「ロシアの欧州大西洋地域における長期的政策は、安全保障・対等協力・相互信頼の不可分性の原則に基づいた平和・安全・安定の共通空間を構築することに重点を置いている。ロシアは、国家がどの軍事・政治同盟に加盟しているかに関係なく、安全保障の不可分性に関する政治的宣言を、法的拘束力を有する形式への移行させることを一貫して支持している」と指摘している。言い換えれば、上述のEUによる「地政学的拡大」に拘わらず、ロシア側は「平和・安全・安定の共通空間」という枠組みの中で、ロシアと欧州が何らかの形で共存できるという希望を放棄していないのである。

ただし最近、ロシアでは近年のEU関係の結果に対する失望感が高まっている。ロシアのラブロフ外相が、「EUは絶対的な優越感を持ち非常に傲慢な態度で、『いつも通りの』ビジネスはありえないことをロシアは理解すべきとの意見を表明したが、ロシアはそもそも現在の状況でEUと何らかの取引ができるのかを理解したいところである・・・。欧州の外交政策を担う人々は、敬意ある対話が不可欠であることを理解していない。我々はしばらくの間彼らと交流することをやめるべきかもしれない」[5]と発言したのは偶然ではない。

実際に、まさにこのようなことが今日のロシア・欧州関係において生じている。ロシアとEUの対話は、現に凍結状態である。経済、治安及び司法、国際安全保障、科学及び教育という四つの共通空間(「ロードマップ」)の構築を通じた戦略的パートナーシップの実現を目指す2005年の合意は、実行にうつされていないのが実態だ。欧州による経済制裁が発動され、2014年にはウクライナで例の事案が生じてからは、共通経済圏の形成やビサなし制度に関する対話は完全に凍結された。ロシア・EUサミットもキャンセルされた。

驚くべきことではないが、この状況でロシアの対欧州貿易におけるEUのシェアは減少傾向にある。ロシアの対外貿易額の中でEUが占める割合は、2018年に52%、2019年に41.7%、2020年1月~5月で39.5%である。2008年のロシアの対EU貿易額は3,820億ドルであったが、2019年にはたったの2,780億ドルに留まる。[6]

このように、欧州大西洋組織へのロシア統合を促進するという期待は、ロシアがEUと正常で建設的な対話を維持できるようになるとの期待と同様、達成されなかった。欧州のパートナーは明らかにその準備がないのか、あるいは単純にその方針を追及しない決断を下したのである。

ロシアと欧州の間での対話は、経済分野だけでなく、軍事・政治分野においても現時点で不可能であることは明白だ。NATO事務総長の命で成立したハイレベルグループの報告書には、「NATOはロシアの脅威と敵対的行動に対し、政治的に統一された、毅然とした協調的な形での対応を継続する必要がある。ロシアがその攻撃的態度を変化させることも、国際法を遵守する立場に回帰することもない限り、『いつも通りのビジネス』に立ち戻ることはない。対ロシア関係におけるNATOの結束は、効果的な抑止力の基礎である政治的一貫性を最も深く象徴するものである」と記述されている[7]。このように、NATOもロシアとの対話を進める準備ができておらず、その逆に、ロシア封じ込め政策を進めているのだ。

ロシアのプーチン大統領は、ドイツの新聞『ツァイト』に掲載された自身の論文で、「現在欧州安全保障システム全体が著しく劣化してしまった。緊張は高まり、新たな軍拡競争リスクが現実のものとなりつつある」と述べている[8]。そしてこの状況を改善するには、ロシアと欧州の包括的パートナーシップを構築するしかない。しかし残念ながら、現在そのようなパートナーシップの再建を期待することは困難である。

中国の対欧州政策

中国は、少なくとも今世紀初頭から、欧州との関係を外交政策上の最重要方針と見ている。 2018年に発行された「中国対欧盟政策文件」で謳われているように、「世界の多極構造と経済のグローバル化の主要な参加国である中国とEUは、世界の平和と安定性の維持、世界の発展と持続可能な開発の支援、そして人類文明の発展における幅広い共通の利益を有しており、このことは双方を互いの変革と成長における掛け替えの無いパートナーとして成立させている。EUは既に14年連続で中国の巨大な貿易相手国となっており、中国は2020年までは米国に次ぐ二番目に大きなEUの貿易相手国であったが、昨年はその米国を抜き一位の座を占めた。EUとの強固な関係性を発展させることは、既に長きに亘り中国の外交政策上の優先事項である」[9]。

By KokusaiSeikatsu

『国際生活』はロシア連邦外務省を発起人とする、国際政治、外交、国家安全保障の問題を取り扱う月刊誌です。創刊号は1922年、『外務人民委員部週報』として出版され、1954年に『国際生活』として、月刊誌として復刊しました。今日、ロシア国内だけでなく、世界各国においても幅広い読者を獲得しています。