2015年にマリ政府と分離独立派との和平合意締結が失敗に終わると、内戦が再開し新たな犠牲者が発生した。ケイタ政権発足後の三年間で、両陣営から1,300名以上の死者が出ており、観光客を狙った襲撃や人質事件の数も急増した。2015年11月のイスラム原理主義者による首都バマコの「ラディソン・ブル」ホテル襲撃事件は惨憺を極め、170名もの人々が人質となった。このテロ事件により、6名のロシア人を含む19名が死亡した。衝突の激化はその後も継続した。

マリの国家権力の脆弱性は、とりわけ官僚の犯罪や、公務員の恣意性・汚職に起因する。ケイタが政権に就いてから早くもひと月後には、マリという国家が、賄賂・縁故主義・身内贔屓などといった、アフリカの国々に典型的な諸問題に現在も蝕まれていることが明らかとなっている。行政上の「後ろ盾」を自らに付与するべく、ケイタ大統領は息子や妻の親戚を権力機構の中に取り込んだ。縦割りの行政内では、大統領と同じ部族出身の役人が即座に昇進していった。罰則がないことを良いことに、役人たちは権力を「私物化」し、私腹を肥やすために利用した。各国から届いた人道支援の中身は身内で密かに分配され、紛争が発生していないにもかかわらず、なぜかほとんど全てがマリ南部に移された。

ケイタ大統領自身も、多額の予算をかけた欧州諸国訪問に嬉々として赴いたことで野党議員の反発を招いた。古いジェット機が十分に機能していたにもかかわらず、大統領が新たな専用機を4,000万ドルで購入したことは大きなスキャンダルとなった。彼はさらに、コルシカ人の実業家ミシェル・トミーと如何わしげな事業を立ち上げ、高価な贈与を受けていたことがメディアに報じられるという好ましくない状況に立たされた。

2020年の夏までには、マリが社会政治・経済上の深刻な構造的危機に陥っており、国は事実上二つに分断された状態となっていた。政府はイスラム原理主義者や分離独立派の支配下にある広大な地域を制御できなかった。この地域に居住する黒人と、「砂漠の白人」すなわちトゥアレグ族やアラブ人との旧来からの対立は、様々な黒人部族間の衝突や、牧畜民と農耕民の間での血生臭い抗争によってさらに悪化した。

政府は、マリ国民を統一する国家思想を提供することも、マリ社会を統一することもできなかった。汚職と縁故主義は政府の信頼を失墜させ、不信感を引き起こした。その結果、国民の大多数は公正な選挙結果を期待しなくなり、大統領選や議員選への参加を拒否するようになった。国民感情は、テロの脅威や分離独立主義、そして部族間対立に対処できず、モラルを失ったと見られる軍隊にも波及した。

このような状況下、国内におけるフランス軍の存在はマリ人の不満を強め、異質な存在として見られるようになった。フランス軍がその主目的、すなわちマリや隣国ニジェールのウラン鉱山と金鉱の保護管理を厳密に追及しているのだと人々は公然と語った。2019年の終わり以降、マリ国内ではサヘル地帯におけるフランス軍駐留ならびに自国大統領の協調政策に対する抗議デモが急速な広がりを見せた。

2020年マリ軍事クーデター

2020年8月、マリで1960年の独立以降五度目となる軍事クーデターが発生した。ケイタ大統領は人望を大きく失っていたため、彼に反感を抱いていた軍隊はほとんど抵抗に遭うことなく大統領官邸を占拠するに至った。反乱軍は、独立記念碑の下で大勢の支持者たちに出迎えられ、軍や国家警察からは事実上総力を挙げた支援を受けた。

反乱軍の指導者たちの中に、マリ軍所属の二名の高官が参加していた。カティ第三軍管区参謀総長のマリク・ディアウ大佐と、同軍管区士官学校長のサディオ・カマラ将軍である。運命の皮肉と言うべきか、両者とも2020年初からロシア連邦で再教育訓練を受け、反乱の起きる数日前に祖国へ戻ったのである。

8月18日の晩に、反乱軍はケイタ大統領、ブブ・シセ首相、ムサ・ティンビネ国民議会議長、アブドゥライ・ダフェ経済財務大臣、チエビレ・ドラメ外務大臣らの身柄の拘束を宣言した。反乱軍の指導者は全ての国境を封鎖し、夜間外出禁止令を発令した。8月19日にケイタ大統領は「流血を望まない」と表明して辞任し、政府と議会の解散を宣言した。その後、反乱軍指導者の一人であるイスマエル・ワゲは、マリ国家権力の最高機関である国民救済委員会(CNSP)の設置を宣言した。同委員会は、暫定政権として権力を握り、「適切な時期」に「民政へ移管する」枠組みの中で総選挙を実施する準備を行うこととなった。

CNSPの委員長には特殊作戦部隊のアシミ・ゴイタ大佐が就任し、その後すぐに自らを国家元首と称した。軍部は「次期選挙を実施する上で必要な政治改革」を公表し、全ての野党を新選挙に関する交渉の場に招集した。そして、著名な野党リーダーの一人であり、ケイタ前大統領に絶えず敵対的であったウスマン・ママドゥ・トラオレを含む「6月5日運動-愛国勢力結集(M5-RFP)」の活動家を監獄から解放した。これら一連の出来事は民衆蜂起であると宣言された。

By KokusaiSeikatsu

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