フランスとロシアの対立

ロシアとマリの長期にわたる伝統的な友好関係は、複雑な状況に鮮やかな色彩を添えている。2019年6月25日、両国政府間で軍事協定が締結された点に留意する必要がある(これよりも前に、ロシアは同様の協定を2017年代に中央アフリカ共和国と、2018年代にブルキナファソと結んでいる)。この軍事協定は、とりわけ「軍事(力)共同訓練、技術支援、軍事教育、軍事医学、軍事史、軍事地理学、スポーツ、そして文化などの分野における関係強化」を示唆している。加えて、同協定にはテロ対策活動の協力に関する条項が盛り込まれている。

今や、新たなマリを創造することが可能な新ロシア派の軍部がマリ政権の座に就いている。これについて多くのフランス人専門家が、ロシアは今後のマリの政治発展プロセスに影響力を発揮しようとしているのではないか、新政府がすっかり反フランス的になるのではないかといった点を危惧している。彼らはまた、ロシアがテロとの闘いに向けた軍隊派遣と、それによって達成される「事態の正常化」を既にマリ政府に提案している可能性も指摘している。中央アフリカ共和国での過去の事例と同様に、ロシア・マリ協定が民間軍事会社「ワグナー社」のマリ進出を確実化させるのだろうか。そのような重大な疑問をフランスは抱いている。

フランスの軍事専門家は、フランス軍の有効性に深刻な疑問を呈している。アフリカで数々の軍事作戦を率いた退役将軍であり、現在フランス外務省の局長の一人であるブルーノ・クレマン=ボレーは、サヘルでの状況について、「我々は壁にぶち当たっている」と述べた。彼によると、この状況は、以前中央アフリカ共和国で展開された類似の「サンガリス」作戦が不名誉な失敗に終わった時のことを彷彿とさせるものであり、今こそマリで展開中の「バルハン」作戦の今後を問うべきであるという。

実際に、2018年1月に「ワグナー社」の最初の派遣軍が中央アフリカ共和国のバンギ空港へ到着すると、フランスによる同国の支配は即座に終わりを迎えた。その翌年、フランスの時事評論家トーマ・ディートリヒは、「フランスは、中央アフリカ共和国への影響力が風前の灯にあるのを目の当たりにしている」と述べた。同じく評論家のシャルル・ブッセルとエムレ・サリは、「かつてフランスの影響圏内にあったこの極めて混沌とした国で、今やなぜこんなにもロシアの軍事プレゼンスが際立っているのだろうか?」との疑問を呈した。そして、評論家のパトリック・フォレスターは、「フランス人は船から転落し、ロシア人は文字通り中央アフリカ共和国の至るところに存在する」と悲しく結論付けている。

現在、フランス政府が最も恐れているのは、中央アフリカ共和国での敗北シナリオが、マリにおいても高確率で繰り返される可能性があることだ。フランスは、サブサハラアフリカの政治情勢が変化する様子をただ見守るしかない。そこでは、自国ではなくロシアの存在感がますます顕著になりつつある。「スーダン、アンゴラ、モザンビーク、ナイジェリアといった国々で、ロシアの必要性が示された。しかも、ロシアはエチオピアやジンバブエとも緊密な関係を築いている」と多くのフランス人専門家が指摘している。彼らはまた、スーダンを起点とし、中央アフリカ共和国とコンゴを経てアンゴラへと延びる「ロシアの影響力の弧」にも言及している。この複雑化した情勢下で、もしもフランスがこのまま自国軍をサヘル地域の国々から撤退すれば、西アフリカの独占状態に永遠の別れを告げることになるだろう。

「マリ症候群」

この極めて不愉快な状況を打開すべく、マクロン大統領はプーチン大統領に影響を与え、ロシアに熱帯アフリカ進出を思いとどまらせる方法を模索している。そのために、マクロン大統領はNATO同盟国や、第一に米国から支持され得る根拠やメカニズムを見出す必要に迫られている。

その手掛かりの一つが、2020年に発生したベラルーシの政治危機だ。フランスは、遠く離れたベラルーシにこれまでさしたる関心を持っていなかったにもかかわらず、いつになく積極的に関与するようになった。8月17日、マクロン大統領は率先してベラルーシの抗議者を支持し、「自らの権利・自由・主権の尊重を平和的に求める数十万人のベラルーシ人への支援を継続しよう」とEUに対して呼びかけた。8月18日、フランス側の主導で、プーチン大統領との電話会談が実施された。クレムリンの報道機関は、「問題の早急な解決の必要性を双方で確認した」と当たり障りなく報じたが、ロシアとフランスでは解決の捉え方が異なっていることは明らかであった。この時既に、プーチン大統領はベラルーシの内政に干渉したり、ベラルーシ政府へ圧力をかけたりすることは許されないと強調している。マクロン大統領側は、ベラルーシ政府への軍事支援の可能性を放棄させようとプーチン大統領の説得を試みた。

8月27日、プーチン大統領は、ロシアの治安部隊がベラルーシ政権の支援に向かう可能性がありながらも、「ベラルーシ過激派組織が国境を超え略奪を始める」まで実際に動くことはないと明言した。彼によると、ロシアは既にベラルーシの為に治安期間による予備部隊を編成しているという。実力行使の法的根拠となり得るのは、ある加盟国が国外からの軍事攻撃を受けた際、その加盟国への軍事支援を可能とする集団安全保障条約(CSTO)である。プーチン大統領の声明が、ベラルーシ情勢を最悪の事態に発展するシナリオから回避させ、「ミンスク版マイダン騒動」から救ったことは明らかだ。

他方、マクロン大統領は、プーチン大統領に対しベラルーシへの軍事進出を止めるよう警告し、今後も同様の働きかけを展開していくと表明した。9月29日、彼はヴィリニュスでベラルーシの野党指導者スヴェトラーナ・チハノフスカヤと会談し、紛争の解決に向けて力を尽くすと約束した。それは、ベラルーシ野党を支持する欧米諸国の意向が最も明確に示された会談となった。しかし、マクロン大統領には、ベラルーシ野党に何ら具体的な約束をすることができなかった。ベラルーシ政府へ制裁を発動することさえフランスの指導者には困難であった。ベラルーシへの制限措置を阻むキプロスを説得するか、あるいはトルコにも同様の措置を講じる必要があったのだ。すでに当時から専門家の間では、フランスがベラルーシ情勢への揺さぶりを止める代わりに、サヘルでの大規模な反仏運動を水面下で支援することをプーチン大統領に止めさせようとする、ある種の駆け引きこそがマクロン大統領の狙いなのではないかと言われていた。しかし、このようなマクロン大統領の猛攻は、未だ具体的な成果を出していない。ロシアは自国の立場を譲るつもりなどなく、欧州によって疎外されている間に、アフリカを始めとする他の地域で主導権を握りつつあるのだ。

By KokusaiSeikatsu

『国際生活』はロシア連邦外務省を発起人とする、国際政治、外交、国家安全保障の問題を取り扱う月刊誌です。創刊号は1922年、『外務人民委員部週報』として出版され、1954年に『国際生活』として、月刊誌として復刊しました。今日、ロシア国内だけでなく、世界各国においても幅広い読者を獲得しています。