パリ
パリ市役所が普段、ロシアの公式訪問団のために用意してくれるガイドは、我々がフランスの特性を知っていくプロセスを、その生来のロシア気質で彩ってくれた。
「『キール』とは何か、みなさんご存知ですか? 知らないだって? それはけしからん。でも、『ビストロ』という言葉は、もちろん聞いたことがあるでしょう。キールも、同じ文脈のものですよ。」
ナポレオン時代のパリに侵攻したロシアのコサックは、フランスの大衆食堂では早食いをするものではないということを知らなかった。まずはアペリティフを嗜むというしきたりがあるのだ。そのアペリティフで最上のものが「キール」。白ワインと、ベリーの「カシスリキュール」で作ったカクテルである。シャンパンを加えた「キール・ロワイヤル」だけが、はっきりと記憶に残っている。
腹をすかせた猛々しいコサックは、キールを気に入った。彼らはキールを次々と一気飲みし、すっかり酔っ払ったのであった。
ロシア人は、この飲み物を知っておく必要がある。そうでないと、言語的齟齬が生じるのだ。
「みなさんにとっての傑作とは? その定義付けがまだできていませんか? 我々にとっては、発想の大胆さと、作業の精密さですね。」
ルーブル美術館に所蔵されている芸術作品が数限りないことを念頭に置いてほしい。ただ、その中でも最高傑作と言えるのが、サモトラケのニケである。名もなき彫刻の王がこの作品を制作したのは、裸婦モデルが禁忌であった時代である。古代の巨匠らに賛美することが許されたのは、男性の裸体のみであった。そんな中で、彼は、水から上がった女神の体に貼り付くチュニックの下からあからさまに挑発する、一糸まとわぬ女性の美の理想像を、石から生み出したのである!
ハラスメントなんていうものを、当時は考えることすら思い付かなかった。
母系制度を思い起こすこともなかった。
はて、現代のフェミニストは、どっちの方向を向いているのだろうか!?
「オテル・デ・ザンヴァリッドは、ナポレオンの最後の避難所の上に立つ寺院です。彼の生前の偉大さに対する死後の尊敬のシンボルとして、彼に打ち勝った者たちによって建設されたのです。」
いくつかの石棺は、入れ子式になっている。だが、そのマトリョーシカの一番外側は、ロシアの赤い斑岩でできている。
「歌詞は一語も削るわけにはいかぬ」
そして、これでおしまいではない!
「フランスは、ニューヨークに自由の女神像を贈りました。一方でロシア人は、パリに、アレクサンドル三世橋を、永遠に残しているのです。」
わが国民の気前のよさと寛大さ、さらには教養の高さは、なんと偉大であることか!