ウィーン
帝国の美女。すべてを記憶する街。
とりわけ、赤軍をよく記憶している街である。戦旗を高々と掲げたロシア兵の足元に、金メッキされたソ連の紋章のパネルのある、何というモニュメントが保存されていることだろう! そして、記念像には、最高司令官I.スターリンがオーストリアの首都を奪取するよう命じた指令の偉大さを強調する文言が、今も変わらずに残っている。生前、人民の指導者の前で怖気づいて媚びへつらっていたフルシチョフにも、ウィーンは、この像の撤去を許さなかった。
たしかに、ウィーンは、ホーフブルク王宮に、ドイツ第三帝国の鷲もまた保存している。おそらく、欧州安全保障協力機構において、この宮殿のバルコニーに立ったヒトラーと、オーストリア併合の記憶を留めておくためであろう。
ウィーンは、ベルリン同様、1945年に同盟国によって分割された。そして10年後、彼らの合意により、ラデツキー行進曲とヨハン・シュトラウスの愛好家が、自ら政権の首を絞め始めたのであった。
美しき青きドナウ……ベルヴェデーレ宮殿とシェーンブルン宮殿……偉大な巨匠の絵画とクリムト……街に響く、荷馬車に付けられた馬の、パカパカという蹄の音……エディブルフラワーと、ウィーン風カツレツ……ザッハトルテなどなど!
オーストリア・ハンガリー帝国時代、ロシア帝国の大使館で働く外交官が、血圧の急変動を引き起こす地元の気候に対処するための支出をめぐる不満に対する特別な追加金を受け取っていたとは、何とも信じられない話である!
オーストリア人とともに、彼らがこよなく愛するフィルハーモニー交響楽団の音楽を堪能できると思うと、ワクワクが止まらない。
もちろん、オペラを見るのも。壮大な、君主制時代を彷彿とさせるオペラ。
世界的に認められた、最高のロシア人のパフォーマンスをこの目と耳で堪能するのだ。
ああ、ついていない。上演演目と我々の旅行のタイミングが合わなかった。
用意されたのは、A.N.オストロフスキーをモチーフとした、チェコの作家によるオペラ『カチェリーナ・カバノフ』である。ロシア人歌手は登場しない。
旋律的な序曲。真の「オペラ通」で超満員の客席は、第一幕のヴォルガの風景を描いた舞台背景が、マンハッタンの摩天楼になっていることに、注意を向けていない。
カテリーナ役は、この背景の前で徐唱を歌い、洗面器で足を洗う。
ちぐはぐである。
第二幕は、もっと興味深い。舞台装飾は、我々をハーレムへといざなう。カバニハ役は、文字通りのマゾヒズムで、恋人に自分の感情をさらけ出す。
アリアはない。ロシア的要素はまったくない。
フィナーレ。客席は拍手喝采である。地元の人々には受けたらしい。
軽めのジャンルである。だからおそらく、ロシア人のスターが出なかったのだろう。
この「玉に瑕」の印象を払拭してくれるような、新たな出会いが必要である。これではウィーンに相応しくない。
旅は続く……