ソ連が第二次世界大戦の回避のためにしかるべき努力をしたことに関しても、常に思い起こす必要がある。戦時中に平和を愛する市民がソ連の奥地へと疎開したこと、ドイツにおける戦後復興でソ連の軍事政府が役割を果たしたこと、ドイツ住民の平和な生活を作り上げたこと、ナチスのラーゲリに収容されていた人々を解放したこと、ニュルンベルク裁判を開催し、そこに参加したことについても語っていかなければならない。そして、これらに限定する必要はない。反植民地主義運動の支援におけるモスクワの活発な役割についても発信することが可能であるし、これを忘れてはならない。なぜなら、東ヨーロッパ解放戦争――これもまた、反植民地主義の戦いの一種であり、ナチスのくびきとの戦いの一種だからである。

 1966年のタシュケント宣言調印の段取りや、1965年のインド・パキスタン戦争終戦後の両国の関係正常化に関するモスクワのイニシアチブなどのような、別の大陸や地域におけるソ連とロシアの調停者としての活動に、特別な注意を向けるべきである。現在、これに関する話題が出ることはほとんどない。また、すでにソ連時代に展開されていた、近東地域における活動も含め、スーダン、コンゴやその他のアフリカ諸国における国連平和維持活動や、シリアにおける作戦の、人道的な調停への関与についても思い起こしてみよう。

 パンデミックはいずれ終息する。外国人観光客は、再びロシアを訪れることになるだろう。けれども、T-34戦車や「カチューシャ」、あるいは戦闘地図を展示するのではなく、ロシアの調停者としての政策、そして、革命前、ソ連時代、そして現代のロシアによる人道的な任務について発信する博物館は、今のところまだない。

 そういった博物館の創設は、肯定的なきっかけとなるだろうし、さらには、我々の文化外交や文化政策をより効果的なものにしてくれるはずである。

 別の提案もある。ケネディ大統領時代に設立された、アメリカの平和部隊のような体制を作るのである。この部隊に参加した人数は、すでに24万人以上にのぼり、年間7000人強のボランティアが活動している。

 こういったプログラムによって、何が期待されるだろうか。建設員や救助者、教師、エンジニアなどが、国外に手助けに行くのである。これは、ついでに言えば、ソ連時代にも、ボランティアの枠組みとしてではなく実践されていたものである。アメリカ人を手本とし、国外で働きながら、自らの価値観、自らの歴史観や社会問題に対する見解を普及させるのだ。これは非常に効果的である。

 したがって、国外でのロシアのボランティア活動の拡大は必要不可欠であり、その参加者は、外国における独自の公使となりえる。これは、歴史におけるロシアの認識に関わる状況が、突如として急進的に変化していくことを意味しているのではなく、外国人との個人的な相互関係、対話、説明、そして何らかの感情を背景として、明確な土台が現れていくことを意味しているのだ。これは、ロシアにとって非常に有益となるだろう。

 我々は、こういった例を、NATOの一員であり、ロシアに対する制裁政策に参加しているイタリアに、軍事ウイルス学者を派遣する決定をした事例にも見ることができる。それでもやはり、こういった要因があるにも関わらず、批判的な状況においてもロシアは、ローマの政策をすぐには変えることができないことを十分に承知した上で、手助けのできる人材を派遣しているのである。けれども、現地において、市民社会や政治的階級のリーダーや将来のリーダーたちを含め、この援助を忘れずに、ロシアを違った目線で見ることのできる人材が現れてくる可能性は大いにあるだろう。

 だからこそ、ロシアおよび大祖国戦争におけるソ連の経験に対する見方もまた、共通のロシアの調停者としての活動という文脈で見直されなければならない。これは、大きなプラスとなるだろう。


By KokusaiSeikatsu

『国際生活』はロシア連邦外務省を発起人とする、国際政治、外交、国家安全保障の問題を取り扱う月刊誌です。創刊号は1922年、『外務人民委員部週報』として出版され、1954年に『国際生活』として、月刊誌として復刊しました。今日、ロシア国内だけでなく、世界各国においても幅広い読者を獲得しています。