カタールとサウジアラビアの対立:隣接諸国の関係のパラダイムにおける決定要因の一つとして

イーゴリ・エゴロフ

M.V. ロモノソフ記念モスクワ国立総合大学附属アジア・アフリカ諸国大学東洋政治学講座博士課程

(翻訳:福田知代)

 20世紀のペルシャ湾における国際関係のパラダイムは、アメリカ、イギリス、ソ連など大国の国益によって決定されていた。この中で、地域の産油国間の関係は、その複雑さと多義性にも関わらず、二の次にされてきた。湾岸協力会議が1980年代初頭に設立されたあとは、共通の通貨と統治構造を持つ統合経済空間の創設を可能にする、真剣な統合のプロセスのための可能性を開いた。けれども、経済面(似通った輸出の構造)、王朝面(王族の野心)、地政学面(古代から有名であった『分割して統治せよ』の原理に則って統治しようとするアメリカの世界主導の願望)などを特徴とする一連の要因により、求心的な傾向は、遠心的なものに取って代わってしまった。さらには、2010年代は、アメリカが自らの軍事的・政治的・経済的な国益を守る一方で、全体として、地域のプレーヤーは自らの政治的野心を実現する可能性を享受することができていたこれまでの「統制されたカオス」の下での厳重な統治から、世界の主要プレーヤーであるアメリカが徐々に撤退していったことが特徴的であった。

 差し迫った世界のプロセスとの対応の中で、ペルシャ湾における地域関係システムは特別な注目に値し[19]、その発展においては多くの点でユニークな現象を示している。このようなわけで、10~15年の間で、極めて小さな国家であるカタールは、湾岸協力会議の一加盟国から地域の第二の主導国[i]となり、2020年にはサウジアラビアを押しのけ、湾岸協力会議におけるリーダーとして名乗りを上げている[15]。

 カタールとサウジアラビアとの間の関係を分析してみれば、カタールの外交危機およびそれに端を発する経済封鎖、近東、北アフリカ、中央アフリカの国々で繰り広げられている長引く「代理」衝突といったあらゆる出来事が、結局のところ、いままでの歴史的事件やこの両国間に蓄積した対立の合法則的な延長に過ぎないということに気付かされるだろう。この闘争の基盤は、1995年、カタールでハマド・ビン・ハリーファ・アール=サーニーが、無血革命の末に政権に就いたときに生まれたのである[25]。

 新たなアミールは、それまでのサウジアラビアの国益に追従する伝統的な政治路線から離れ、カタール経済の成長と多角化、経済的つながりの拡大、独立外交の導入によって、ペルシャ湾一帯から遠く離れた地域(小国の限界を超えると思われるほど)にまで及ぶ影響力の拡大を開始したのである。

 ここで、カタール外交と、カタールの地域的、国際的な影響の拡大に関して簡単な概要を紹介しておく必要があろう。なぜなら、まさにこれが、伝統的に湾岸協力会議を自らの勢力圏とみなしてきたサウジアラビアとの衝突を深めることになったからである。


[i] 地域の主導権のコンセプトは、国際関係の分析に関するネオ現実主義的アプローチの枠内で活発に研究されている。これによれば、20世紀後半のアメリカとソ連のような、主導国とそれを「追いかける」第二の主導国との間の関係や闘争が、国際政治および地域政治を決定づける要因であるとの主張である。このモデルは、独立国家共同体におけるロシアとウクライナとの関係のような地域研究にも適用されている。

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