サルマン王家は報復として、選挙によって初めて選出されたエジプトのムルシー大統領と「ムスリム同胞団」に対する2013年7月3日の軍事クーデター[8, p. 42-52]を支援した。クーデター後、「ムスリム同胞団」運動の一部がカタール国内に逃れた結果、2014年3月、サウジアラビア、アラブ首長国連邦とバーレーンは、カタールから大使を呼び戻したのであった。

 二つ目の方針――トルコ=カタール=イランの「枢軸」[i]形成についてみれば、サウジアラビアは、カタール外交危機[27, p. 11-20]以前からすでにこのプロセスを積極的に妨害していたものの、まさにこのことが、この脆いながらも極めて強力な同盟[12, p. 370-428]の形成と結晶化を早めたのだということを指摘しておこう。その影響について見ていく前に、まさにこの新たな政治的現実に対し、サウジアラビアが準備不足であったことを指摘しておきたい。アメリカは、トルコのカタールにおける軍事展開の初動にも、カタールとハーメネイー体制の協力関係の接触と発展にも、形式的な声明のみで、反応は控えめなものにとどめた。リヤドのワシントンにおける、ドーハに対する制裁圧力に向けられたすべてのロビー活動は、事実上何の成果もなく終わった[4, p. 79-83]。のちにアメリカは、タミム首長の政権一族への支援を確認し、カタールにあるアル・ウデイド軍事基地の拡大に賛同したのであった。

 カタールとトルコの共同活動は、エジプトや、ガザ地区におけるハマスの伝統的な支援だけにとどまらなかった。「ムスリム同胞団」は、彼らに近い「アン=ナハダ」運動(ルネサンス党)が、ドーハとアンカラの財政支援を受けて2011年10月の選挙で勝利を収め、政権を樹立することに成功したチュニジアで、活動を活発化させたのである[12, p. 370-428]。

 カタール・トルコ同盟は、シリアにおいても「ムスリム同胞団」運動を、B.アサド体制に取って代われるよう強大化させ、支援しようと活動を活発化させた[24]。シリアにおける内戦の初期段階においては、カタール・トルコ同盟とサウジアラビアは、地域におけるシリア・アラブ共和国の立場の弱体化に関心を抱いて、共通の目的を追求していた [6]。両者は、B.アサド体制を打倒しようと試みていたため、アメリカとともに、シリア政府軍と戦う軍事部隊を支援していた[3, p. 1-14]。これと同時に、サウジアラビアから支援を受けていたグループと、カタールが資金提供していたグループとの間で、定期的に軍事衝突が発生していた[7, p. 86-99]。カタールは、忠実なグループに対し30億ドル以上の援助を行ったが[11, p. 11-51]、この財政支援のかなりの割合が、トルコの武器や弾薬の購入、さらにはトルコ国内でのトレーニングキャンプの建設と整備に利用された。

 他方で、アンカラ=ドーハ=テヘランの「枢軸」形成は、カタールとイランが徐々に接近した時期に始まった。タミム首長のもとでドーハは、国連安全保障理事会の非常任理事国としての立場で、2006年、経済制裁及び外交制裁によってウラン濃縮を停止するようイランに求める第1696号決議に反対した。このほか、カタールは、テロとの戦いと安全保障の分野における協力援助を目的とした協力に関する協定を、2010年にイランと結んでいる[17, p. 113-134]。タミム首長のもとで、カタールとイランは、両国にまたがる天然ガス田における開発の交渉を活発化させた。カタールは、国連安全保障理事会の常任理事国五か国およびドイツ、イランによって承認された2015年のイランの核プログラムに関する協定の締結を歓迎した。

 この取引はイランの地域的目論見に関してサウジアラビア側の懸念をさらに高め、アラブ世界における市民的抗議活動の組織をはじめ、イエメン、シリア、レバノン、バーレーンにおけるサウジ勢力との代理戦争の実施、サウジアラビアが支援する正統な政府に対してシーア派住民を反抗させる試みなどにおいて、イランへの非難を強めた。

 イランを、ペルシャ湾地域における国家安全保障のための重要な同盟国として捉えているカタールは[18]、住民のおよそ10%を構成するシーア派の少数派が国内にいるにも関わらず、イランのシーア派に対する影響の危険性に関する声明を無視している。このことは、カタールにおけるシーア派は、スンニ派の市民と事実上差異がないということによって説明できる。彼らは、バーレーンやサウジアラビアのような、服装や訛りの顕著な違いが存在する国々とは異なり、同じような服装をし、同じように話しており、国内のスンニ派と同様の生活スタイルを持ち、文化的価値観を共有している。また、自らの中にシーア派の信仰とカタールのアイデンティティを併せ持ちながら[17, p. 113-134]、社会に溶け込み、カタール政府にとって安全保障の分野において問題を起こしたりはしていない。サウジアラビア、クエート、バーレーンとアラブ首長国連邦においては、シーア派の少数住民は、その他の住民と溶け込んではおらず、イランのシーア派とのイデオロギー的、宗教的近似性を強調している。


[i] カタールとトルコの間の関係は、両国の共同プロジェクトともいえる「ムスリム同胞団」の支援(第一の方針)と緊密に関連している。

By KokusaiSeikatsu

『国際生活』はロシア連邦外務省を発起人とする、国際政治、外交、国家安全保障の問題を取り扱う月刊誌です。創刊号は1922年、『外務人民委員部週報』として出版され、1954年に『国際生活』として、月刊誌として復刊しました。今日、ロシア国内だけでなく、世界各国においても幅広い読者を獲得しています。