2017年からの経済制裁は、カタールとイランとの間の関係分断がその解除のための条件の一つとなっているが [9, p. 53-61]、カタールは、イランの平和目的での核エネルギーの利用の権利を公式に支持し続けており、カタール国防省の高官は、2015年のイランの核協定を復活させることを定期的に呼びかけており、カタールは、イランに対するいかなる敵対的な政策にも参加せず、支持もしないことを表明している[16]。

 カタールとサウジアラビアとの間の三つ目の問題は、カタールによって支援されているテレビ局「アル=ジャジーラ」の活動と、サウジアラビアに向けられたその批判である。「アル=ジャジーラ」のジャーナリストによって放映されている批判的なルポルタージュは、サウジアラビアにとっては、体制存続にとっての脅威として認識されている。「アル=ジャジーラ」はすでに、カタールのもっとも影響力のある「ソフトパワー」の手段の一つとなっており、「アラブの春」の時期におけるアラブ世界での抗議運動の報道に大きな役割を果たした。「アル=ジャジーラ」の活動は、近東全域での革命運動を刺激し、正当化する主要な構成要素の一つであり、カタールはその活動を、チュニジア、リビア、エジプト、シリアにおける革命運動の支援のための、地域における自らの影響力のコントロールに利用していたが、このことは、サウジアラビア側にネガティブな反応を呼び起こしたのであった[17, p. 113-134]。サウジアラビアは、対抗策として、2003年にアラブ首長国連邦で設立された「アル=アラビーア」の支援に力を入れたが、これは、O.S. チクリゾワが指摘しているように[14, p. 545-565]、民間外交の一部であり、さらに、アラブ世界における衛星放送とケーブルテレビの分野での優勢を目指す、サウジアラビアとアラブ首長国連邦の共同努力の結果である。

 カタールとサウジアラビアとの間の関係の問題は、イエメンでの対立によって激化している。カタールは、2004年から2007年にかけて政府軍との休戦協定締結の手助けをしたことから、イエメン国内のフーシ派と緊密な関係を維持している。カタールによる政治面、財政面そしてメディアの面での支援のもとで、「ムスリム同胞団」運動とイデオロギー的なつながりを持つイエメンの政治政党「アル=イスラ」は、A.A. サーレハ政権末期に、イエメン国内におけるもっとも影響力を持つ野党グループの一つとなり、2011年、アフマル部族とともに、サーレハ大統領の現行体制に反対する抗議運動の組織者の一つとなった。フーシ派支援に関してサウジアラビアから非難を受けているカタールは、数年に渡り、学校や病院、さらにはホームレスのための住居の建設も含めた人道的支援をカタールに提供してきた。2017年、カタール赤十字社は、イエメンの160の貧困世帯向けの住居をモカ・タイズ地区に建設した[12, p. 370-428]。

 2017年にカタールの封鎖が宣言されたあと、イエメンの活動家でノーベル賞受賞者であるタワックル・カルマンは、サウジアラビアとその同盟国に関し、「現在カタールを包囲している国々は、すでに長年に渡って、イエメンを分裂させようとイエメンを包囲し、その市民を殺害しており」、そのような彼らの違法な行動により、カタールは、「イエメン市民の自由と尊厳のための闘いを支援したことに対する報復」を受けている、と書いた[5]。イエメン国内におけるカタールとサウジアラビアとの間の衝突の主な原因は、サウジアラビアが長年に渡り、イエメンを、自らの排他的な国益の領域であると理解していることにあり、そのためサウジアラビアは、カタールがイエメンへの内政干渉を行っており、イエメンにおける危機を、政治的・外交的手法によって解決しようとするサウジアラビアの試みをカタールが妨害しており、その結果イエメンが国として分裂しているとして、カタールを非難しているのである。

By KokusaiSeikatsu

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