「京都議定書-2」:西ヨーロッパの気候外交の「レームダック」

オレグ・シャマノフ (翻訳:福田知代)

在タイ王国ロシア連邦公使参事官、国連アジア太平洋経済社会委員会ロシア連邦代表臨時代理

国際的な気候プロセスの教訓

もう長年に渡って、気候変動の問題は、客観的な事情で、現代のもっとも深刻な環境の脅威のうちの一つとなっており、国際的な議題の最上位に位置付けられている。そして、このテーマに関する議論の政治的な関心度は、もっとも高い水準にある。

もう間もなく、国際的な気候プロセスのいばらの道に、新たな段階が生まれようとしている:2020年12月31日、気候変動に関する国際連合枠組条約(UNFCCC)[i]の、京都議定書に加えられたドーハの改正案が発効する。この文書は、2013年から2020年の京都議定書の約束期間を延長し(以下、「京都議定書-2」という非公式な名称を用いる)、先進各国が負担する温室効果ガスの削減目標値の更新を盛り込んだ、京都レジームへの一連の改正を含むものである。

地球温暖化との闘いにおける「歴史的な」段階を記念するために、気候問題の活動家たちは、おそらく、当面の大人数でのパレードをこの日に合わせてくると考えられる。各国首脳たちは、予想するに、国際的な気候の崩壊を回避するという名目で、「自尊心を高めよう」という新たなスローガンを声高に叫ぶことだろう。

しかし、これにより、一体何が「取り残される」だろうか。「京都議定書-2」が、その第二約束期間(2013年から2020年)の終わり際すれすれに発効するという、かくも逆説的な状況の根本原因は、どこに隠されているのだろうか。

気候変動に関する国際連合枠組条約の庇護の下で長引く交渉プロセスの、フィルターをかけて修正された光景ではなく、リアルな光景を見ていくことにしよう。すると、多くのことが明らかになってくる。

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話は、国連加盟国が1990年代のはじめに気候問題の解決への糸口を模索する最初の試みに着手し、上述の気候変動に関する国際連合枠組条約が1992年に採択されたときにまでさかのぼる。持続可能な成長のコンセプトが提起された時期に世界を覆っていた共通の強い関心は、歴史上初となる気候条約の迅速な合意に、少なからず寄与した。この条約の合意までに、合計で15か月しか要しなかった。

その後は、長年に渡る苦労の多い交渉の長距離走が待っていた。気候変動に関する国際連合枠組条約への京都議定書(1997年)の構想から、パリ協定(2015年)の採択に至るまで、この長距離走は、輝かしい成功ときわめて病的な失敗[ii]とを交互に繰り返すという特徴を持っている:ハーグ会議(2000年)の混沌――この結果、作業は半年間中断することとなった。そして、マラケシュ会合(2001年)の歓喜――これにより、京都議定書の実施に向けての規定すべてにようやく合意の着地点を見つけることができた。さらに、京都議定書の第一約束期間始動後に開催されたモントリオール(2005年)の上機嫌――ここで、第二約束期間の交渉開始に関する決定がなされ、続くコペンハーゲン会議(2009年)の虚脱;新たな気候レジームをめぐる交渉にポジティブな結末を期待させた「ダーバン・プラットフォーム」(2011年)の採択、ドーハ会議(2012年)における、国連の手続きの規定と原則のかつて例をみないほどの軽視。これは、そこで採択された決定の正統性を疑問にさらし、「京都議定書-2」の好ましくない運命を確実にするものであった。

これらの年月に気候変動に関する国際連合枠組条約の交渉の場で起こったことは、「不思議の国のアリス」の変わり果てた鏡の向こうの世界に完全になぞらえることができる。

このような事態に意義ある貢献をしたのは、地球の気候を救うという国際的な運動の旗振り役を買って出ている西ヨーロッパ諸国の、本質的には矛盾した気候外交であった。その気候外交は、表面的にはできるだけ迅速にこの異常な環境問題の解決策を見出そうと真摯に努力しているように見えるのであるが、一方で、第一に、国のエネルギー戦略の事実上容認していない多様な選択肢によって、地球のエネルギーバランスを強制的に再構築するため、そして第二に、地中のエネルギー資源に関するプロジェクトへの投資に標準的な制限を設けることに至るまでの、国際的な金融の流れを再編するために、経済特権を達成する目的で環境保護のスローガンを利用しようという明らかな誘惑が見え隠れしているという特徴を持っている。

その上、この目的を達成するために、到底非の打ちどころのないはずの方法論が、きわめて頻繁に修正されてきたのである。おそらく誰かが、あまり名のない聴衆に訴えかけるのを好まず、ヨーロッパの環境外交の「輝き」を損なわないために、はっきりと誇示するような手法を取っているであろう。この交渉期間中、たくさんの手法が取られてきた。

気候変動に関する国際連合枠組条約の慣例により、開催国の代表が議長を務めることになっている。2000年に開催されたハーグ会議で議長を務めたのは、オランダのヤン・プロンク環境・住宅・国土開発相であった。彼の稚拙で欺瞞的な政治的態度、相手の話を聞こうとしない姿勢、特にロシア代表の発言をあからさまに認めようとしないやり口により、ロシア代表団は、ハーグにおいて、抗議の意味で会議中にホールを一時退席するという、現代の外交ではめったにお目にかかることのない手段に頼らざるを得なかった。この会議における自らの課題については、ロシア代表団は、最終的には解決したものの、会議の総合的な結果に関して言えば、議長の極端に思い上がりの激しい姿勢が、きわめてマイナスに影響した――すべての参加国の利害を考慮に入れたバランスの取れた結論にどうしても達することができず、会議は半年間中断されることになった。

ついでに言えば、まさにこのハーグ会議の場で、EUの「緑の侵略」もまた、京都議定書の将来に影響を及ぼすような、もっともネガティブな形ではっきりと現れた。自国の政府で「緑の」政治翼を代表するドイツ環境相ユルゲン・トリッティンとフランス環境相ドミニク・ヴォワネが頑なな態度を取った結果、温室効果ガスの吸収における土地利用の潜在的可能性を考慮した上で、京都議定書の実施に際する柔軟性を保証するためにアメリカ代表団によって提案された方法論的算定に関するいつくかの規定が、EUによって採択を妨害されたのである。

このような近視眼的な判断は、交渉に参加した事実上すべての国々を、驚嘆に陥れることとなった。この期間中で、アメリカがもっとも大きな環境汚染源であった。アメリカが分担する温室効果ガスの削減目標値は、世界のおよそ17%にも上った。まさにこれが、問題の交渉の舞台裏で片隅に残され、最終的にアメリカが京都議定書の批准を拒否するという流れの最後の一押しとなってしまったのである。アメリカを失った結果、京都議定書の第一約束期間の枠内で実施される各国共同の削減目標値は、47%から30%にまで減少してしまった。

その後、EUのアプローチの同様の「奇妙さ」は、何度となく現れている。2001年のマラケシュで、イギリスのマーガレット・ベケット環境・食料・地方問題担当国務相が主導した協議は、夜通し行われ、参加者に消耗の色が見られた。彼女は、ロシアが提案した京都議定書の約束履行に際しての森林の吸収能力を考慮に入れた許容値を、すでに合意された日本の目標値とは数桁も異なるにも関わらず、これを「よい取り引きだ」としてロシア代表団を根気強く説得しようと試みた。けれども、客観的事実は、次のようなものである:2002年における、日本の森林が占める面積は2500万ヘクタール程度であり、一方のロシアは6億2100万ヘクタール、つまり、約25倍なのである[iii]! けれども、なぜかベケット女史は、実際には日本と同程度であるとして、我々はこの数値に賛同すべきだとの考えであった。

シンプルな疑問がおのずと頭に浮かぶ:「本気で言っていますか? 数学と論理学は、どこに行ってしまったんでしょう?」そんな常識的な良心を表明することはできなかった……

交渉の期間中、西ヨーロッパの代表らは、「自尊心を高める」というスローガンを飽きずに訴えていたし、これからも訴え続けることだろう。けれども、ここにもEUの気候に関する認識のズレが反映されている。

2005年、ベラルーシが、温室効果ガス削減の数値的約束を課されることになる締結国への参加意思を表明した。ベラルーシには、ほんの少しの数値が割り当てられるだけになることは予想されたものの、それでも、京都議定書が規定する温室効果ガス放出量に余裕が出ることになる。締結国の会議により、議定書に加えられた修正案が可決され、これによりベラルーシは、温室効果ガスを8%削減することを約束した。けれどもEUは、これを批准することを拒否したのである。これはダブルスタンダードではないか。

これに関連した2009年のコペンハーゲン会議での壊滅的な失敗には、もう驚きもしない。

あらゆることが、考えられる限りの間違った方法で行われ、議長役のデンマーク人らは間違いを犯したのである。それは、公式代表団のメンバーらを、会議場の入り口で多くの聴衆(NPOの代表やビジネス関係者、ジャーナリスト)とともに数十、数百メートルにもなるセキュリティの列に並ばせ、それにより代表団は1時間かそれ以上、協議が予定されていたホールに入場することができなかったという事件に始まり、挙句の果てには、トップレベルの部会の最終段階で完全な支離滅裂を披露したのであった。

そもそも、コペンハーゲンには、119の国や政府のトップが集結していたのである! 先進各国だけでなく、発展途上国にも約束が課されることになる、本当の意味での気候問題をめぐる共同の取り組みの戦略実現を始動するはずの、京都議定書の代わりとなる新たな文書の採択が期待されていた。

期待は、これまでにないほど高いものであった。政治的な緊張感が、極限まで高まっていた。会議の最終日前夜、ドミートリー・メドベージェフロシア連邦大統領も含めた、首脳国の代表らも直接交渉に加わった。消耗の激しい非公式の議論の末、妥協点を見出すことはできなかったようであった。しかし!……会議の公式な閉会を待たずに早朝にコペンハーゲンを後にしたフランスのニコラ・サルコジ大統領は、専用機のタラップで、ジャーナリストらに対し、「取り引きは達成された」とせわしなく表明したのである。朝刊には、「歴史的な気候外交の停滞」に関する勝ち誇ったような大げさな見出しが踊った。会議の議長を務めたデンマークのラース・ラスムセン首相は、当初、本会議を通過させるタイミングを見失ったまま、「コペンハーゲン合意」と名付けられた最終的な文書を、慌てて審議にかけたのであった。

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これは、深夜の会合に参加していなかった多くの首脳らを大いに侮辱する行為であった。ウゴ・チャベス大統領は、「ドアの下の隙間から何かをこっそりと差し込もうとする行為だ!……」ときわめて雄弁に状況を表現した。国連の基本的な原則の違反と透明性の欠如に関する感情的な議論は、13時間も続いた。ラスムセン首相も潘基文国連事務総長も、事態を打開するために必要な言葉や議論を見つけることはできなかった。コペンハーゲン合意は、ヴェネズエラをトップとした発展途上国の代表らによって阻止され、無に帰すこととなった。

コペンハーゲンの虚脱がもたらした代償は、2015年に新しい文書――パリ協定がようやく合意に漕ぎつけられ、採択されるまでの、6年間の事実上ゼロからのさらなる交渉であった。気候問題解決のための実際の活動に充てられるはずだった6年間が、こうして失われたのである。

ドーハ会議(2012年)の「鏡の向こうの」環境外交にも、不名誉な称号が与えられている。根本的な国家利益が危機に瀕した「京都議定書-2」の構成に関する緊迫した議論の枠内で、ヨーロッパの代表団は、EUに加盟していない移行経済の国々(ロシア、ベラルーシ、ウクライナ)によって切り詰められた削減の割り当て[iv]の存在価値を事実上失わせるようなレジュメを、参加国の同意なしに会期の終わり間際に投げ込んできたのである。これは、これらの国々に約束された負担量を自動的に増加させるものであったし――しかも、2.5~3倍に!――そして、第一約束期間および第二約束期間における京都議定書遵守の体制の一貫性を損なうものでもあった。

会議の閉会時に議論の決着をつける可能性を残した状態で、カタールの議長の要請に応じ、明らかに異常な状況を方向修正するための手立てを探ろうとして、ロシア、ベラルーシとウクライナは、共同で妥協案を準備した。カタール国副首相アブドゥッラー・ビン・ハマド・アル=アティーヤ議長の指揮の下で開かれた緊急の非公式協議の結果、今後の動きに関するアルゴリズムが定義された。とりわけ、議長が、ロシア、ベラルーシ、ウクライナによる提案を本会議の公式な議論で扱うことが条件づけられた。

そして……議長は自らの言葉を守ることはなかった。

最終日の本会議が始まってから、議長は顔も上げず、議場を見渡すこともないまま、一瞬のうちにドーハの改正案の草案を当初の形で可決することに踏み切った。ロシアはここですぐさま会議の進行の手順に対する異議を唱えたが、示威的に無視された。これは気候変動に関する国際連合枠組条約の手続きの規則を乱暴に違反するものであり、最終案はどうやら全会一致で可決されたということになった。まったくナンセンスである!

しかし、ここでまだ話は終わらない! もっとも驚くべきことは、ここで起こったことはすべて作為的だったということである。ドーハでの非公式な大臣級協議で議長を任された二人の大臣のうちの一人――ノルウェーのベルト・ヴェガール・ソリヘル環境相(当時)は、その後、自らの論文の中で、結果的にあらかじめ計画されていた措置であった、と恥ずかしげもなく公言していることからも、そう判断できる。以下、2012年12月11日の「アフテンポステン」紙の電子版に掲載された彼の論文『京都議定書-2はこうして誕生した』の、ノルウェー語からの非公式な翻訳をいくつか引用する:「爆弾……ロシアは譲歩することを拒否している……短い議論の中で、片隅である提案が持ち上がる:『カンクン会議のときと同じようにするのではどうか』と一人が発言した。これは何を意味するのか。つまり、案[最終文書の草案のこと]を出し、そして抗議を無視するということである。この抗議は、われわれが知る限り、ロシアを筆頭に行われるだろうと予想された……」

これは、手を加えていない、原文そのままである。

「片隅での発言から始まる」外交……今となってはもう驚きもしない、現在の西ヨーロッパの「highly likely」スタイルの常軌を逸した行動が、その背景にあるのだ。

われわれの回答は真っ当で公にできるものであり、法の秩序の下で提起されたものであった。2013年6月、気候変動に関する国際連合枠組条約の下部機関の会議において、ロシアは、ベラルーシとウクライナの代表団を積極的に支持し、「気候変動に関する国際連合枠組条約の過程の枠組みにおける決定の採択」という新たな条項を、締約国会議の議題に含める提案を行った。これは正確には、国連の原理と広く容認されている規範に対する小細工や違反を阻止するために出されたものであった。それで、EUはわれわれを支持しただろうか。いや、彼らは大部分に渡って、沈黙を守ったのである。

上述の目的を実現するためには、消耗の激しい二週間の手続き会議が必要となった。しかしながら、これにはそれだけの価値があった。先述の条項を気候変動に関する国際連合枠組条約の上級機関の議題に含めることは、国際的な気候プロセスの枠内における、規範的・政治的なニヒリズムを予防するという点で、大いなる貢献であったのである。

では、「京都議定書-2」の運命は結果的にどのようなものとなり、その搾りかすの現在の姿はいかなるものであるだろうか。これらの問いに対しては、ロシアの有名なことわざ「蒔いた種は刈らねばならぬ」が、もっとも分かりやすく答えてくれる。

ドーハ会議における国連の原則と手続きをこれ以上ないまでに乱暴に軽視した事案に対しては、ロシア、ベラルーシとウクライナが合理的な反応を見せた――ドーハの改正案を、これらの国々は批准しなかったのである(ロシアに関して言えば、正確に言うと、我々はドーハのずっと前から、気候に与える人類の負荷を軽減するためには、これは極めて限定的な意義しか持たないことを念頭に、「京都議定書-2」の枠内での約束を引き受ける意向はないということを正式に表明していた)。ニュージーランドと日本は、「京都議定書-2」の枠内における削減の数値的な約束を引き受けることを拒否した。京都レジームに引き続き残ったのは、アメリカやカナダといった、温室効果ガス放出量の多い国々である。結果的に、京都議定書第一約束期間と比べて、温室効果ガスの削減目標値はさらに4分の1――30%から7.6%にまで減少した。このような手段で気候変動の問題を解決するのは、果たして可能なのだろうか。

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もっとも特筆すべきは、ドーハのあと、EUは丸5年、ドーハの改正案の批准を引き延ばしたということである。どのような状況だったかを推察するに、「京都議定書-2」の枠内における削減の数値的な約束に関しての唯一の「大口のプレイヤー」であり、その上、約束履行に際して、気候問題で発展途上国に金銭的な協力を申し出ているということがあるのだろう。

本質的には、「京都議定書-2」は、気候問題の国際的な共同の解決策の実施を、単に丸8年延期しただけである。そしてそれは、外面だけは完璧な文書の体裁を保ってかろうじて世界に発信されたが、実際には中身のない代物となった:2020年12月31日に正式に発効し、この日をもって第二約束期間が予定通りに満了する。なんと物悲しく、皮肉的な一致であろうか!

今や、すべての望みはパリ協定に委ねられている。しかしながら、国際社会は、気候変動の反作用に対する今後の取り組みが、国連の基本的な原則と確固たる規定に立脚した、真にすべてを包含する、バランスの取れたものとなり、温室効果ガス削減に、机上の空論ではなく、現実的な貢献をするよう、迷走や失敗を繰り返し、「歪んだ鏡の外交」のテクニックを適用しようとしたおよそ30年間に渡る気候プロセスの歴史から、重要な教訓を引き出さなければならない。もしこれがなされないのであれば、苦労の多い外交の議論の末に出来上がった気候に関するパリ協定も、「京都議定書-2」の悲劇的な側面を踏襲することになってしまうだろうと断言できる。


[i] 気候変動に関する国際連合枠組条約(UNFCCC)は、環境と開発に関する国連会議(ブラジル、リオデジャネイロ、1992年)の中で提起され、その場で署名がなされた。1994年3月21日発効。署名欄には、195か国(ロシアを含む)とEUが名を連ねた。条約の主な目的は、記述的な形でのみ表現された:気候システムに危険な人的影響を与えないレベルに、大気中の温室効果ガスの凝縮を持続的に達成する、というもの。京都議定書は、第3回気候変動枠組条約締約国会議(日本、京都、1997年)で採択された。2005年2月16日発効。署名欄には、191か国(ロシアを含む)とEUが名を連ねた。アメリカは参加を拒否(署名したものの、批准されなかった)、また、2012年12月には、カナダが京都議定書から離脱した。京都議定書は、温室効果ガスの削減の約束を具体化し、先進国と移行経済の国々に対し、第一約束期間と呼ばれる2008年から2012年の数値的な削減目標値を定めている。発展途上国には、数値的な約束を課していない。

[ii] これに関しては、インターネット・プロジェクト「パリファイル」の公開の枠組みにおいて、すでに意見を表明する機会があった(http://profilesofparis.com)。

[iii] 京都議定書の約束履行の規定では、国の森林資源すべてではなく、森林の維持に関する目的のはっきりした措置を行うことのできる領域のみを計算している。ロシアがコントロールできる森林は、ロシアの森林面積全体の80%程度である。

[iv] 京都議定書の実質的な目標実現のために、パーセンテージで表現される削減の数値的な約束は、定められた量の単位に換算されおり、これがつまり割り当て(炭酸ガスの等価量をメートル法のトンで表したもの)ということになる。これは、京都議定書であらかじめ議論された経済構造の枠組みの中で利用することが可能であった(たとえば、この手法を自らの約束履行のために適用したい国家に売却する、というようなこと)。このほか、将来の数値的な約束を前倒しして実施する可能性も排除されていなかった。

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