オレグ・コビャコフ

世界の食糧確保だけにとどまらないFAO

オレグ・コビャコフ 国連食糧農業機関ロシア連絡事務所所長 (翻訳:安本浩祥)

進歩に貢献した75年

2020年10月16日、国際連合食糧農業機関(FAO)は創設75周年を迎える。FAOは国連の専門機関の1つであり、食糧問題のほか、農業、林業、漁業の問題、さらには農村開発の問題に取り組んでいる。そのためFAOは、10月24日が創設記念日である「大きな国連」よりも、丸一週間も早く創設されたのである。

FAOの使命はその憲章に「飢餓と食糧不足のない世界、食糧生産と農業がすべての人々、特に貧しい人々の生活水準向上を促進する世界」と明確に書かれている。

この75年間でFAOは何を達成したのか。どうして人類はそれだけ長い時間をかけても世界の飢餓を撲滅することができないのか。「世界の村ソビエト」は今日、その加盟諸国と協力して目的達成のために何を行っているのか。

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栄光の道の諸段階

FAOの出発点となったのは、1943年5月から6月にかけて、アメリカのホット・スプリングスで開催された準備会議であった。ソビエト連邦を含めた44カ国が以下のような意見でまとまった。つまり、飢餓が数百万人の人々を苦しめている中で、さらに世界戦争の終焉後の混乱が予想される中で、農業食糧分野における国際協力のメカニズムが不可欠である、ということだ。

この国際的メカニズムの基本目的は、当時連合国・枢軸国を問わず各国で導入されていた食料切符と同様、人々を食べさせる、という分かりやすいものであった。FAOのモットーである「Fiat Panis(人々にパンを)」というスローガンはここから来ている。

次に、カナダのケベックでは最初の設立会議が開催され、一時的にワシントンに臨時本部を置く形で、FAO設立のための法的手続きが行われた。会議が始まった10月16日は毎年世界食料デーとなっており、またFAOの創設記念日でもある。

FAO憲章の前文には次のように書かれている。「単独または集団での施策を通じて、全体の福祉の達成を促進する決意をした国々は、次の目的のため、本憲章によって、国際連合食糧農業機関を創設する。それぞれが所属する法的集団の枠内で人々の栄養の質と生活の水準を向上させること。すべての食糧および農業生産物の生産と配分の効率の向上を確保すること。農村人口の状態を改善すること。そのことによって、世界経済の成長と人類の飢餓からの救済を促進すること」。さらに憲章のなかでは、「栄養、食糧、農業の諸問題に関する情報を収集し、分析し、解釈し、発信しなくてはならない」としている。

当時の仕事は、戦後の飢餓という世界共通の現象を背景としていた。その問題の解決は、先延ばしにはできないものだった。1946年から1947年の収穫予測に基づいた最初の世界食料見通しを作成したのち、FAOは70カ国をあつめた会合を開催し、最初の大規模な行動計画を策定した。この時以来、科学的根拠に基づき、統計資料に支えられた、食糧安全保障に関する見通しは、FAOの最もよく知られる活動の一つになった。

1951年春、FAOは本部の引っ越しを行った。76名の職員が、彼らの家族とともに、ワシントンからサトゥルニア号とヴルカニア号に乗船してイタリアに到着し、ローマの新しいFAO本部の中心メンバーとなった。

この長い道のりには様々なマイルストーンがあった。1950年には最初の世界農業センサスが実施され、このデータは、多くの国々での農業人口の状態評価や農業地域の発展計画のための出発点となるものだった。

1952年には、世界植物防疫条約(IPPC)が採択され、今日その加盟国は182カ国となっている。

1961年12月、FAOと国連総会は、世界食糧計画(現WFP)を創設し、それは国連の人道援助のための最大の機関となった。

1985年には、FAOの指導の下で、世界食糧安全保障条約が締結された。1995年には、越境性動植物病害虫緊急予防システム(EMPRES)が構築された。同じ年、FAOは水産資源の合理的な利用と養殖業の発展の原則を定めた「責任ある漁業のための行動規範」を採択している。

1996年ローマで開かれた第一回世界食糧サミットは、1万人以上が参加した画期的な出来事であり、2015年までに地球上の飢餓人口を半分にするという具体的な目標を初めて策定した。

2000年の国連ミレニアム宣言においては、ミレニアム開発目標(MDGs)が定められ、極度の貧困をはじめとする貧困の削減(MDG1)においては、FAOのイニシアティブにより、世界の飢餓人口を半減させるという目標も明記された。

2014年には、土壌の浸食と劣化を予防し、温室効果ガスの排出を削減し、炭素の結合を促進し、持続的な農業資源の利用を目的とした世界土壌パートナーシップが立ち上がった。同じ年、FAO加盟各国は、責任ある農業投資の原則について話し合い、合意した。

2015年、国連総会は、2030年までの持続可能な開発目標を採択した。そのなかでは17の持続可能な開発目標(SDGs)が策定され、飢餓と貧困の撲滅から気候変動への対応、天然資源の保護まで、その多くはFAOの使命とも重なるものである。

2019年には新しく就任した屈冬玉FAO事務局長の提案により、「ハンド・イン・ハンド(手をつないで)」イニシアティブがスタートした。このイニシアティブは、先進国と発展途上国とのパートナーシップのイノベーティブなビジネスモデルにより、公的セクターと民間セクター、さらには社会活動団体が一緒になって、第三世界の貧困と飢餓と戦い、持続可能な発展に向けて支援することを可能にしている。

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FAOの10の主要な成果

FAOの専門的活動における主要な成果については、専門家によってさまざまな意見があるが、次の10のブレイクスルーについては、大方の意見が一致しているところである:

1.「コーデックス・アリメンタリウス」(食品規格)委員会が1963年にFAOとWHOによって創設された。これは食品の規格、消費者権利の擁護、公正な食品取引のための指導的国際機関である。

2.2002年のオンコセルカ症(河川盲目症)の根絶。西アフリカでは1974年から2002年までの間、ハエによって媒介されるこの病気のために、数万人が失明した。1974年、FAO、WHO、UNDP、世界銀行が11カ国で対策プログラムを開始し、リスクゾーンにあった4,000万人の感染を防ぐことができた。

3.食料及び農業のための植物遺伝資源に関する国際条約が2001年、FAOにおける長年にわたる外交交渉の結果、135カ国によって採択された。この条約によって、農業生産者、品種改良者、研究者らが、植物遺伝資源にアクセスし、その利用によって得られる利益を公平に分配することができる国際的な枠組みができた。

4.世界食糧安全保障委員会(CFS)。1974年設立。これは食糧安全保障および栄養に関する世界的な対話の場となっている。委員会の会合は毎年、世界食料デーに合わせて行われ、FAO理事会および国連総会に直接報告を行うことになっている。

5.ラテンアメリカおよびカリブ海諸国における飢餓とのたたかい(1990年~2014年)。25年間で、当該地域における飢餓人口は半分に減少した。その割合は、1990年には人口の14.7%であったのが、2014年には5.5%にまで低下した。FAOの支援の下で、食糧とバランスのとれた栄養へのアクセスを確保するための政治的施策がとられた結果であった。

6.牛疫の撲滅。牛疫は、牛、水牛、野生の偶蹄類において何百万頭もの犠牲を生み出し、その損害額は数十億ドルに上るといわれている。1994年、FAOと国際獣疫事務局は、牛疫の撲滅に向けたグローバルプログラムを開始し、2011年にはその完全な撲滅宣言がなされた。

7.食料への権利。この権利の実現で加盟国を後押しするため、FAOは2004年、「国家食糧安全保障における十分な食料への権利を漸進的に支援するための自主ガイドライン」を策定した。今日、食料への権利は、30カ国以上で憲法および法律で規定されている。

8.農産物市場情報システム(AMIS)。食料価格が高騰するなかで、G20の呼びかけに応じて、世界の食料市場の透明性確保と政治的決断の材料とするための国際的なプラットフォームとして、2011年に立ち上がった。

9.土地資源、漁業資源、林業資源の保有および利用の問題解決のための自主ガイドライン。2012年、農業の持続可能な発展のために、各国がそれら資源への公平なアクセス確保のために定める戦略、法律、プログラム、イベントの指針となるようなメカニズムのひな型として策定された。

10.責任ある漁業のための行動規範。1995年、天然資源の保護、乱獲の予防、違法・無報告・無規制の漁業(IUU漁業)への対策のために採択された。2011年、FAOのイニシアティブにより、違法漁業防止寄港国措置協定が締結された。

今日のFAO

誰もお腹を空かせて寝ることがないように

FAOは、現代の問題の中でももっとも大規模で悲劇的な問題、すなわち飢餓の根絶に向けて、グローバルな取り組みを行っている。FAOの専門家らの試算によれば、2030年までの目標で示されたように、あと10年で「ゼロ・ハンガー」を達成することは不可能とされている。なぜならここ5年間で再び飢餓の規模は拡大しており、年間約1,000万人の増加を見せているからだ。もしもこの悪い傾向が続くならば、2030年までに飢餓人口は8億4,000万人をこえることになるだろう。

国連の用語でいうところの不完全な栄養は、飢餓、肥満、微量栄養素とビタミンの不足という三大問題に集約されるが、世界で数百万人がこれらの問題の犠牲者になっている根本的な原因は、完全な栄養を担保する食事の価格が高すぎるということであり、その価格が高いために、世界人口の約3分の1の人々にとっては手の届かないものになっているということである。

現在の栄養モデルは、30億以上の人々に適正な食事を提供していないのみならず、本来必要ではないはずの医療費の増大や環境問題への深刻な影響を生み出している。2030年までに、感染症以外で死因となる健康問題にかかる医療費総額は、不完全な栄養のせいで、年間1兆3,000億ドルを超えるおそれがある。

ウイルスからコロナ(王冠)を奪おう!

コロナウイルス(COVID-19)の感染爆発は、人の健康を脅威にさらし、食糧システム、国際貿易、生産チェーンを破壊している。FAOはこの世界規模での危機への対応を模索し、食糧安全保障における崩壊、特に最貧困層における影響を避けることが、加盟国の力でできると確信している。

FAOが考えているのは、ロシアも含めた先進支援国が、感染爆発による国内需要の高まりに直面しながらも、すでに食糧危機に陥っている国々への食糧支援を止めてはならない、というのが非常に重要だということだ。

感染爆発の当初から、FAOは農業セクター、生産収穫チェーン、食糧価格、食糧安全保障に対するCOVID-19の世界的な影響を評価するためのツールを立て続けに導入してきた。FAOは、自らが持つ非常事態警戒システムを通じてCOVID-19をめぐる状況についてのモニタリングと情報交換を実施しており、農業、漁業、林業に従事する関係者らに対し、感染予防と対策についてのアドバイスを行っている。FAOのポータルサイトには、「COVID-19コロナウイルス感染の発生について」(http://www.fao.org/2019-ncov/ru/)と題するページを設け、ウイルスの拡大とその経済と社会への影響について、状況を追跡し、分析している。

FAOはまた、WHO、WFP、IFAD、OIEなど他の国連組織とも緊密な協力体制を築きながら事態に対処している。

非常事態:FAOが助けに

世界のいくつかの地域では、COVID-19の感染拡大によりもたらされた食糧危機に加えて、さらに他の災害がのしかかっている。東アフリカ諸国には、前例のないほど大量のサバクトビバッタが襲来し、食物の収穫や家畜の飼料を失った農村住民ら数千万人が被害を受けている。

FAOは、この国境を超えた害虫とのたたかいにおける国際的取組を指導し、資金を調達し、地上と空中からの化学的、生物的方法の実施およびモニタリングを支援し、収入手段と生活の糧を失った農家たちの救援にあたった。

FAOは、世界におけるサバクトビバッタの状況を絶え間なく監視し、予測を立て、サバクバッタ情報サービス(DLIS)を通じて、その大量発生が予想される時間と規模、場所を事前に警報するようにしている。

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「食料の法」は厳しいが、法である

食料の国際貿易は何千年もの歴史を持っているが、しかしつい最近に至るまで、食糧というのは基本的のその生産地で販売され、消費されてきた。今日では、以前とは違って、大量の食料、さまざまな食料が、毎日、地球を縦横無尽に駆け巡っている。それらの商品の品質は果たしてどのようなものなのか、それを決める基準になるのが、「コーデックス・アリメンタリウス」(Codex Alimentarius)であり、文字通り訳せば、「食料の法」である。

「コーデックス・アリメンタリウス」は、食料の国際基準を定め、国際市場に出回る食料品の安全性と品質を規定するためのルールと指針を定め、「フェアトレード」の条件が順守されるよう求めるものだ。消費者は自らが購入する食品の品質と安全性に安心することができるように、輸入業者は自分が注文した商品が仕様書通りのものであることを確信することができるように、コーデックスは機能している。

各国政府にはこの「コーデックス・アリメンタリウス」が順守されるよう徹底することが求められており、このことが、世界中の人々の食品の品質と安全の信頼へとつながっている。

食品ロスをいかに回避するか?

収穫されてから、世界の小売販売チェーンに行き着くまで、価格でいえばその約14%の食料品が無駄になっている。つまり、食料生産のために費やされた経済的および環境的資源(労働、水、エネルギー、土壌など)の多くが、無駄に使われたということであり、しかもそれら資源は枯渇しているか、限られたものなのである。

FAOは一貫して、食品廃棄ロスの削減という考え方を推進している。FAOの研究によれば、食品廃棄ロスは気候変動を促進する人為的要因の一つである。温室効果ガスの総排出量のおよそ8%が、食品ロスに起因すると考えられている。

FAOがこの問題でとるアプローチは、理想的には廃棄のない生産と責任ある消費という持続可能な経営モデルへの移行が必要であるということである。FAOは、生産からその後の処理、保管、加工、さらには小売店への輸送と最終消費者への販売というすべてのサイクルにおいて、適切な管理を行うよう提言している。

さらにハイレベルな部分でいえば、FAOは、グローバルなレベル、地域的なレベル、国家レベル、地方自治体レベルにおいて取組みが進んでいる、食品ロス削減のためのイニシアティブとソリューションを支援しているほか、食糧システムにおける変革を促すための施策、特にその法規範の整備という面において、さまざまな提案を用意している。

普遍的な組織として

FAOは当初から、多くの役割を持った組織として構想された。その活動の範囲は、農業や飢餓とのたたかいだけに止まらない。FAOの活動内容には、土地、土壌、水といった資源の活用、原料商品とその貿易取引、人的資源と統計、食料政策と栄養、漁業、林業、農村の発展といったような、さまざまなテーマが含まれる。

21世紀、知識の組織化という文脈においてもFAOに対する需要が高まった。FAOによる技術的資料、特別報告書、方法的ガイドラインといったものは、その職員のみならず、学術機関の研究員や実務家など数百人の人々の経験と協力に基づいたものであり、それはインターネットのホームページにオープンアクセスで公開されている。特に、FAOの中心的発行物といえば、毎年発表される「世界の食糧安全保障と栄養の現状」、さらに、世界の農業、漁業、林業、原料食料市場の状況については、二年ごとに報告を実施している。それらの報告書は、FAOの加盟各国において、各分野の政策の決定や、公官庁、民間企業、非政府機関による判断の客観的指針として用いられている。

FAOのFAOLEX法政策データベースは、食糧や農業、天然資源に関する各国の法律や政令、政策などをまとめたもので、200以上の国と地域、経済連合体から、40以上の言語におよぶ資料を収集したものである。

ロシアのFAOへの道:冷戦における「砂丘の長い道」

ソビエト連邦が、FAOの設立に積極的に関与したにも関わらず、加盟国として加わらなかったというのは、矛盾したようではあるが、事実である。ソ連は加盟国として得られる明らかなメリットにもかかわらず、加盟しなかった。創設メンバーとして名誉ある地位は、60年後になって、ロシア連邦によってやっと獲得されたにすぎない。1940年代におけるそのようなドラマチックな展開の背後には、果たしてどういった事情があったのだろうか。

農業問題に関する政府間組織を創設するということについては、ソビエト連邦を含む44カ国が、1943年5月18日から6月3日まで、ホットスプリングス(アメリカ・ヴァージニア州)で開催された国際食糧農業問題会議で決定したことだった。当時の出来事について、ノルウェーの歴史家であるエヴァングは次のように書いている。「この会議の特徴は、普段は国際協力のいかなる提案についても乗り気ではなかったアメリカとソビエトロシアという世界の二大国が、なんの条件も付けずに、この非常に重要な分野における協力に賛成票を投じたということだった」[1]。

米国務省の公文書館には、この会議へのソビエト代表団の参加をめぐるモスクワ大使館とのやり取りの記録が残されている。その電報の一つなかでスタンドリー駐ソビエトアメリカ大使は、モロトフ外務人民委員から手渡されたメモについて言及している。「ソビエト政府は会議に代表を送る準備があるが、開催までの時間があまりないため、到着が間に合うかどうかには確信が持てないという。会議では、その参加国に何らかの義務を負わすような具体的な決定はなにもなされない、ということをソビエト政府は理解している」[2]。

ホットスプリングスでのソ連代表団で団長を務めたのは、対外貿易人民委員代理のクルチコフであり、団員には、ウクライナ共和国人民委員会議副議長のスタルチェンコ、チミリャーゼフ農業アカデミー学長のネムチノフ、外務人民委員部諮問評議会のミシュスチン、外務人民委員部事務総長補佐のサクシン、さらに在アメリカソ連国家調達委員会食料部長のシェーグラが参加した。

1945年の春、ホットスプリングスでの交渉に参加したメンバー(ソ連代表のラヴリチェンコも団員に入っていた)によってつくられた農業食糧問題臨時委員会は、将来の国際組織の憲章草案を作成していた。

1945年10月16日、ケベック(カナダ)にてFAOの設立会議が開幕した。ソ連代表団の団長は対外貿易人民委員代理のセルゲエフ、副団長は農務人民委員顧問のラヴリチェンコ、団員は、在カナダソ連大使館の経済担当参事官であるクロトフ、アムトルグ貿易会社のニチコフ、水産人民委員のニスキシン、調達委員会のヴォロンツォフであった。

会議にはオブザーバーとして、ウクライナ共和国代表団(ソ連人民委員会議ウクライナ共和国人民委員会議代表ルドニツキー、在カナダソ連大使館職員ヴォレンコ)、ベラルーシ共和国代表団(ベラルーシ共和国国家計画委員会副議長チムチュク、連合国救済復興機関ベラルーシ代表キミンスキー)が参加した[3]。

ホットスプリングスでの会議に参加し、設立メンバーとしての権利を得た45カ国のうち、34カ国が、ケベック会議の初日である1945年10月16日、FAO憲章に調印し、その正式メンバーとなった。会議は11月1日まで続き、その間にさらに3カ国が加わった。残る8カ国のうち7カ国も、1945年11月30日から1953年12月1日までの間に加盟した。唯一ソ連だけが、自らの権利を行使しなかった。

それほどの大代表団を送り込んだソビエト連邦は、どうしてケベック会議でFAOに加盟しなかったのだろうか。

1989年11月、ロイター通信がソ連のFAO加盟についての見通しを報じた中で[4]、「モスコフスキエ・ノーヴォスチ」紙を引用し、かつてソビエト連邦は「帝国主義勢力」がFAOの要職を占めようとしており、機関を自らの利益に利用しようとしている、との理由で憲章への調印を拒んだとしている。

外交アカデミー学長のヤコヴェンコは、ロシア外務副大臣も歴任しているが、2005年10月12日の「ロシア新聞」紙上にて、FAOに加盟することにより、農業関連の多くの統計資料の提出が義務化されるが、ソビエト連邦ではそれらの統計資料は機密扱いであった、そのためにソ連はFAO加盟を見送った、と説明している[5]。

歴史家のなかでは、1946年から1947年の凶作とそれに続く飢饉の影響により、ソ連のFAO加盟問題は検討されることなく、最終的には、かつて反ナチスで団結したはずの米ソ間の関係が冷却化し、さらに数十年にわたった冷戦のなかで、加盟検討は凍結された、という見方が広がっている。

当時の冷戦体制のなかである意味人質となったのが、FAOに加盟したハンガリーやポーランド、チェコスロヴァキアといった東欧諸国であった。ポーランドとチェコスロヴァキアのFAO加盟は1945年10月16日であるが、チェコスロヴァキアは1950年12月27日に脱退(1969年11月10日に再加盟)、ポーランドは1951年4月25日に脱退(1957年11月9日に再加盟)している。ハンガリーのFAO加盟は1946年9月13日だが、1952年1月26日には脱退、1967年11月6日に再加盟している。1950年代に東欧諸国がFAOを脱退した背景には、ソ連の影響があったものと考えられる。

当時のソ連指導部の考えによれば、イギリス人ジョージ・ボイド・オア、アメリカ人のノリス・ドッド、フィリップ・カードンと、1967年に至るまで英米からの人物が長官ポストを占めたFAOは、反ソ帝国主義陣営の右翼の影響下にあると考えられた。そのような考え方は、農業問題に関心の高かったフルシチョフの書記長就任後も変わることがなかった。

有名なソ連の諜報活動員であるグリグレヴィッチの伝記には、1950年代にヴァチカンおよびFAOにおいて、彼があるラテンアメリカ国の代表を務めたというエピソードが紹介されている。当時のモスクワとFAOとの関係を考えれば、そのような「隠れ蓑」はまさにうってつけだったと思われる。

冷戦の間、ソ連はFAOの加盟国ではなかったが、それでも発展途上国向けに、ソ連を見学する研修旅行は行われた。その研修についての報告書のコピーが残っており、主に内容は漁業の技術的な問題に関するものだ。例えば、1968年9月21日から10月18日に行われた研修のテーマは「漁の方法と技術それぞれに対する魚の行動」であった[6]。

80年代なかごろ、特にペレストロイカがスタートし、ソ連の新思考外交が行われるようになると、世界最大の農業、林業、漁業国であり、国連安全保障理事会とすべての国連専門機関のメンバーである国が、農業と食糧分野における国際組織に属していないという状況がおかしいということが明確に意識されるようになる。

1987年、ソ連はFAOのオブザーバー国となった。FAOでの最初のソ連常駐代表は、漁業関係者であった。

ロシア連邦閣僚会議の1993年5月17日の決定により、在イタリアロシア連邦大使館のなかに、FAOの常駐オブザーバー局が設けられ、外務省、農務省、水産庁、林野庁の4名が職員となった。

ソ連崩壊後、ロシア連邦政府は再三にわたって、FAO加盟問題を取り上げてきたが、1990年代の厳しい経済状況の中、特に1998年のデフォルト以降、財務的負担が伴うFAO加盟は先送りされてきた。

2000年代初めになって、ロシアのFAO加盟が現実的な問題として、外交課題として浮上してきた。このためにはFAO憲章の批准が必要であり、そのためには連邦法による策定がロシア国内法により必要とされていた。

2006年4月13日、ロシア連邦はFAOの正式加盟国となり、ジャック・ディウフFAO事務局長に対して、FAO憲章の採択を通知した。FAO憲章の原文において、ソ連代表が署名するためにとっておかれた空白を埋めるのに、たっぷり60年かかったことになる。

ディウフ事務局長は、駐イタリアロシア連邦大使メシコフから批准書を手渡された際、「ロシア連邦がFAOに加盟するという歴史的決断を心から歓迎いたします。ロシアは農業生産において最大の国であり、FAO加盟は、ロシア自身のみならず、組織全体にとっても利益となるでしょう」とあいさつした。

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ロシア連邦とFAOの間のその後の関係は、ダイナミックかつ確実に発展した。両者ともに失われたものを取り返そうとした。2007年、第34回FAO会議にて、ロシアは理事国に選ばれ、ロシア語にはFAOの言語としての地位が与えられた。そのことによって、ロシア語でのFAOの公式文書には1億7000万人の母語話者、さらには3億5000万人のロシア語話者がアクセスできるようになった。それは旧ソ連地域におけるFAOの業務負担をかなり軽減するものとなった。ロシアは、専門家らのアドバイスやFAOの公式文書を受けるのにロシア語が使えるようになり、FAOのプログラムに基づいた自国の専門家らの訓練、FAOにおける国際文書の作成への完全なる参加、という道が開かれたのである。

2010年、ロシア連邦FAO常駐オブザーバー局は、FAOおよびその他国際機関における在ローマロシア連邦常駐代表部として改編された[7]。

2015年2月5日、FAOのローマ本部では、ロシア連絡事務所をモスクワに開設するための合意が調印された。130カ国にあるFAOの各国代表部とは別に、連絡事務所はモスクワを加えて6つの支援国(アメリカ、日本、ニューヨーク国連本部、ジュネーブ国連事務局、ブリュッセルEU本部)におかれている。このFAOの決定の背景には、世界の農業分野発展のために、ロシアの潜在力と幅広い経験を研究し、活用しようという考えがある。FAO本部がモスクワ連絡事務所に期待した役割は、ロシアの各省庁、団体、学会などとの協力を構築し、FAOとしての使命を支えることだった。

最初のロシア連絡事務所長には、高名なロシア人農業経済学者であり、2006年からFAO本部において局長ポストに就いていたセロワが就任した。

ロシアとFAO パートナーシップとドナーシップ

FAOは、ロシアの農業セクターの発展を高く評価している。国および民間の農業分野への投資、人材育成、輸出の強化、ユーラシア経済連合(EEU)での協力を進めるロシアは、FAOにとって、単に信頼できるパートナーとしてだけではなく、発展途上国に対するFAOの技術支援プログラムにおけるドナー国としても位置付けられている。

毎年のFAO予算への負担金のみならず、ロシアは第三国への緊急支援や農業発展のための技術支援というFAOのプログラムに対して、政府開発援助の一環として、拠出金を負担している。

FAOモスクワ事務所の活動内容は、具体的には十以上の方向性を持っている。例えば、食品廃棄ロスの削減に向けた努力がある。FAOの試算によれば、水産物における食品ロスは水産製品の35%に上っている。水揚げされた魚の8%はそのまま海中に廃棄される。多くの場合、その魚はすでに死んでいるか、死にかけているか、かなりの傷を負っているかである。それはつまり、毎年30億匹のアトランティックサーモンの成魚が失われているのと同じことである。

この懸念すべき統計数字をFAOが発表したのは、2017年秋にサンクトペテルブルグで開かれた第一回国際漁業フォーラムにおいてのことだった。「水産品分野における廃棄ロスは、責任ある漁業のための行動規範第11条の重大な違反にあたる」と、FAOの専門家であるニコラ・フェッリは指摘し、「この結果、栄養、食糧安全保障の確保、貿易と収入源といった機会が失われることになる」と警鐘を鳴らした。

FAOモスクワ事務所は、メッセ・ドゥッセルドルフと協力して、食品ロスと食料廃棄の削減に向けたグローバルイニシアティブ「セーブ・フード(SAVE FOOD)」のロシアでの推進を議論するための学術実務会議をすでに3回にわたって開催している。

FAOは一貫して、海洋資源に対する取り返しのつかない損害やIUU漁業に対して反対の姿勢を示している。IUU漁業の量は、毎年2600万トンに及ぶ。ロシアは特に太平洋海域において、IUU漁業撲滅のための重要なパートナーであり、ロシアは違法漁業防止寄港国措置協定に2010年に調印していたが、このたびそれを批准するというロシア政府の決定を、FAOは歓迎する。

2017年、アルメニア、ベラルーシ、カザフスタン、キルギスタン、タジキスタンの5カ国における、食品の安全性向上および食品産業と農業における薬剤耐性拡大の予防に関するFAOの取組みに対して、ロシアは330万ドルの支援を行った。

FAOグローバル土壌パートナーシップは、土壌資源の劣化問題に注意を喚起している。チミリャーゼフアカデミーとのパートナーシップにより、ヴィリヤム記念土壌農学博物館に保管されている世界最大の土壌サンプルコレクションについて、デジタル化共同プロジェクトが進行中だ。この作業が完成すれば、インターネットを通じて世界中のユーザーが、この博物館に保管される展示物を見ることができ、世界の共有財産となる。

ヴォロネジ会議

FAOの活動へのロシアの貢献を示すものとして、ヴォロネジで2018年5月に開催された、第31回ヨーロッパ地域総会(ヨーロッパおよび中央アジアにおけるFAOの最高指導機関)がある。FAO副事務局長で、ヨーロッパおよび中央アジアにおけるFAO地域代表を務めるラフマニンは、この会議の結果について、「ジェンダーと貧困と移民の相互関係、バランスを欠いた食事による様々な問題とともに、肥満についての恐るべき統計数字、そのほかの重要な諸問題」など焦眉の課題を議論したことによって、「高い目標を定める」会議になったと強調している。この会議では他にも、情報コミュニケーション技術を応用し、有機農業と地理的表示を発展させた「電子農業」というテーマも話し合われた。ヴォロネジ会議は参加者らが認めている通り、意義深いものとなった。

FAOモスクワ連絡事務所は、連絡事務所としての役割を果たすとともに、対話と情報交換のための多機能プラットフォームとなることを目指している。その中には、評価や予測、技術的知識といったもののほか、ロシアにおける幅広いパートナーへのFAOからの提言というものも含まれる。パートナーには、公官庁や社会団体、業界団体、実業団体、専門家やジャーナリストらのコミュニティなどが数えられる。モスクワ事務所は、農務省、外務省、財務省、経済発展省、文部科学省、国際協力庁、消費者庁、農業監督庁、林野庁、漁業庁、統計庁などの省庁との実務的連絡を密にしているほか、チミリャーゼフ記念モスクワ農業アカデミー、高等経済学院、モスクワ国立大学、モスクワ国立国際関係大学、外交アカデミー、ロシア国立人文大学、モスクワ国立言語大学、バシキール国立大学などの学術研究機関や高等教育機関との協力を進めている。

農業関係の様々な学問分野、経済、環境などにたずさわる学生や大学院生に向けては、卒業前のインターンシップを実施しており、ローマのFAO本部での若手専門家の実習体験なども行っている。

あとがきにかえて 新しい境界

2030年までの持続可能な開発目標のなかで、FAOは目標2の飢餓撲滅を「主導する」立場であるとともに、21のターゲットではコーディネーターとして、5つのターゲットにおいては共同実行者としての役割を果たしている。

飢餓の撲滅、食糧安全保障と持続可能な農業の発展のほかに、FAOは、貧困の撲滅(目標1)、健康の増進(目標3)、質の高い教育(目標4)、ジェンダーの平等(目標5)、きれいな水と衛生(目標6)、持続可能な生産と消費(目標12)、気候変動の影響の緩和(目標13)、海と陸のエコシステムの保全(目標14と15)に大きな貢献をしている。

国際連合食糧農業機関が75年の歴史の中で果たした最も重要な役割といえば、何千年にもわたって人類の進歩の足かせとなってきた飢餓という現象を完全に撲滅するために決定的な一歩を踏み出したということである。

2020年、世界で飢餓に苦しむ人の数は、6億8000万人にまで減少した。これは1990年と比べて3億3000万人少ない数字だ。しかし、確かに多くの国で改善は見られたものの、まだこの結果に満足することは到底できるものではない。2030年までに残された10年で、世界における飢餓撲滅のための共同施策を実施していかなくてはならない。これは実現可能な目標だ。しかしこの歴史的な画期を実現したとしても、FAOの任務はまだ終わらない。以前同様、増え続ける地球人口に対して、健康な栄養を提供し続けなくてはならない。地球上のすべての人々の健康で充実した幸せな平和な生活の基本となるのだから。

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1https://www.cambridge.org/core/services/aop-cambridge-core/content/view/S0029665144000277

2Цит. по https://history.state.gov/historicaldocuments/frus1943v01/d732

3http://www.fao.org/3/x5584e/x5584e05.htm#v

4https://www.joc.com/soviets-joining-united-nations-food-agency_19891114.html

5https://rg.ru/2005/10/12/prodovolstvie.html

6https://spo.nmfs.noaa.gov/sites/default/files/pdf-content/mfr3013.pdf

7Распоряжение Правительства Российской Федерации №1451-р от 3 сентября 2010 г.