「神聖なる目的」を失ったドイツの対ロ政策

アレクサンドル・ラル (翻訳:安本浩祥)

ソビエト連邦とワルシャワ条約が崩壊する前夜、パリ憲章が採択された。実際の計画において、それは欧州安全保障協力機構(OSCE)を基礎とした新しい「自由な」ヨーロッパを復活させるはずであった。しかし米国は、ヨーロッパの将来の骨組みを、NATOとEUによって縛り付けるために全力を傾けた。その結果、西側は民主主義の教師となり、東欧は教室の机で民主主義のイロハを学ぶこととなったのである。


『国際生活』:1990年モスクワで、ドイツ最終規定条約、いわいる「2+4」条約が締結されました。東西ドイツの両外相と並んで、第二次大戦の連合国であるソ、米、英、仏の外相がサインしました。東西ドイツ統一に対して最も慎重だったのは、イギリスのサッチャー首相でした。英政府と他の国々との意見の違いはどのようなところにあったのでしょうか。ドイツ連邦共和国とドイツ民主共和国の統合には他のやり方はあったのでしょうか。

アレクサンドル・ラル:イギリスとフランスが、最後まで東西ドイツ統一に反対したことはよく知られています。米ソは当時すでにドイツには反動的動きはなく、欧州が戦前の状態に戻ることはないと考えていました。イギリスとフランスは依然として、強いドイツはヨーロッパの脅威、という古い常識にとらわれていたのです。当時の政治家たちはまだ、戦争の恐怖を直接に経験した世代であり、いまの政治家とは違っています。イギリスは、ドイツが自らの経済力でもってヨーロッパのリーダーになると考えており、イギリスにとってそれは危険なことだったのです。

 アメリカとソ連は、ドイツ統一以外に選択肢はないと考えていました。しかしアメリカは厳しい条件を付けてきました。それは、統一ドイツがNATOにとどまるべきだというものです。ドイツ連邦共和国で、漸進的な統合、すなわち、東西ドイツがそれぞれの体制を維持しながらも、1つの連邦のもとで共存する、という方法が提案されたとき、ドイツ民主共和国の人々は、それなら大挙して西ドイツに移住、逃亡すると答えました。西ドイツは東ドイツからの大量難民という可能性に恐れをなし、ヘルムート・コール首相は、数カ月での統合実現に全力を傾けたのです。

『国際生活』:現在EU内で意見のまとまりがつかず、結局英国はEUを脱退してしまいましたが、すでに当時から、統一ドイツが中心的役割を果たすということに対して反対する声があったということが影響しているのでしょうか。

アレクサンドル・ラル:1990年の政府資料によれば、東西ドイツの統合は当時、統一通貨ユーロの導入と関連付いていました。強いマルクが支配することは、ヨーロッパにとってはおそるべきことでした。ドイツは事実上ヨーロッパの経済統治を任されたのですが、その代わり、ヨーロッパ経済統合に向けた努力を惜しまないという厳しい条件が付けられました。イギリスは、経済的にはドイツが中心になることを受け入れましたが、安全保障の問題においては、(フランスとともに)舵取り役になろうとしたのです。1998年のサン・マロでの英仏首脳会談を思い出してみてください。この英仏イニシアティブはうまくいきませんでした。英国はEUからの脱退を決め、自国の主権をブリュッセルの欧州官僚の後見の下におくことを拒否したわけです。つまりは、ヨーロッパという大きな船における狭い艦橋の中で、英国とドイツはうまくやっていけなかったわけです。

こんにちの欧州の安全保障体制は、完全とは程遠いものです。20世紀において2度の世界大戦を引き起こしたドイツは許されて、EUの統合者の役割をいまでは背負っています。NATOとEUは東欧諸国を吸収して拡大しました。しかし、ヨーロッパ最大の国であるロシアを排除していることで、西側は多くの問題を抱えることとなり、欧州大陸の安全保障に深刻な影響を今後与えることになるでしょう。

『国際生活』:1990年の条約の最も重要な結果の一つとして、ドイツがいかなる領土的主張も他国に対して行わないと約束したことです。それによって、ドイツの国境は画定し、ポーランドとの間でも、オーデル・ナイセ線で国境が画定しています。しかしこんにちでは、ポーランドや他の東欧諸国においてナショナリズムの機運が高まっています。同時にこの地域では反ロシア感情が高まり、多くの場合、反ドイツ感情も同様に高まっています。ドイツ国内においてそのような動きはどのようにうけとられているのでしょうか。

アレクサンドル:ラル:ドイツは、1990年の条約で決着がついた問題については、変更できないものであり、未来永劫有効である、という立場をとっています。ポーランドが要求し始めた第二次大戦の賠償金は、現在のドイツ政府によって拒否されています。ポーランドは東欧における地域大国になろうとしているため、自然とロシアやドイツといった近隣の大国との軋轢がうまれるのです。

ドイツは、EUが崩壊してしまうのを避けるために、ポーランドとの立場の違いを外交的に解決しようとしていますが、同時に現在のポーランドの保守政権が「リベラルな価値から逸脱している」と批判しています。英国のEU脱退と、コロナウィルスによる南欧諸国の弱体化によって、ポーランドは、「陽のあたる場所」を求めて独仏と争うためのさらなる可能性を手にしました。ポーランドが指導的役割を果たすヴィシェグラード・グループの影響力が高まることは確実です。西欧におけるリベラル的価値と、中東欧におけるナショナリズム傾向との間の争いは、おそらく今後、さらに先鋭化していくでしょう。

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『国際生活』:ドイツ連邦共和国のヴィリー・ブラント首相とエゴン・バール経済協力相による「新東方外交」なくして、1990年のモスクワ条約調印はあり得なかったでしょう。新東方外交によって、西独とソ連との間には、政治、経済、文化など、多方面での関係が構築されました。しかし東西ドイツ統一後、ゲアハルト・シュレーダー首相の時期を除けば、ロシアとドイツの関係は、信頼関係とは言えない状況です。この原因は何であるとお考えですか、またこの状況を変えるためには、両国が何をしなくてはならないのでしょうか。

アレクサンドル・ラル:「東方外交」によって西ドイツが目指したものは、第一にドイツ民主共和国との統合でした。この目的は達成されました。いまやドイツの対ロ政策にこの「神聖なる目的」がない以上、「東方外交」も存在しません。このような議論は冷笑的であるかもしれませんが、本質をついている部分もあります。ヴィリー・ブラントのデタント政策に現在でも多くの人々が共感しているドイツという国が、ロシアなくして、もしくはロシアと対立しながら、欧州の安定を実現することなど不可能だということを、知らないはずはないのです。ゲアハルト・シュレーダーはそれをよく理解していました。アンゲラ・メルケルはそれを理解していません。

ドイツは、ヨーロッパにおける指導的立場をゆるがせにしないために、ロシアよりも、直接の隣国との関係を重視すべきだとメルケルは考えたわけです。その結果、ロシア問題についてポーランドやバルト諸国といったEU新加盟国と話し合う際には、彼らのきわめてロシアに批判的な態度を受け入れなくてはならなくなったのです。彼らは、ドイツがロシアとの間で伝統的な「東方外交」を行うことを「許さない」のです。

言い方を変えれば、ドイツにとって隣国である東欧諸国は、核大国ロシアよりも重要な存在になりつつある、ということです。現在、挙げればきりがないぐらいの対立が次から次へと生まれており、状況を変えることは困難です。ドイツが求めているのは、ロシアが再び西側のリベラル的価値観に回帰することであり、そのようなロシアとの関係構築なのです。一方のロシアはといえば、それとはまったく違う関係、相互のプラグマティックな利害に基づいた関係をドイツとの間で構築したいと考えています。

『国際生活』:ソ連政治指導部の「善意」なくして、東西ドイツの統一は不可能でした。現在のドイツのエスタブリッシュメントの中に、国境と意見の違いを超えた協力という原則が、いまだ意味を失っていないような人々はいるのでしょうか。

アレクサンドル・ラル:残念ながら、デタントとベルリンの壁崩壊の時期に政権を担当したドイツの政治家の世代はもう生きていません。それらの政治家たちは、ドイツ統合と冷戦後の新しいヨーロッパの建設において、ソ連とロシアの役割を前向きに評価していました。老練な彼らは、ドイツの今の世代の政治家らに対して、ロシアとは争わないよう全力を尽くすように呼びかけていました。悲しいことに、その呼びかけは聞き入れられませんでした。

今の世代のドイツの政治家は、アメリカに対する一種宗教的ともいえる畏敬の念をもって育った世代です。ドイツはヨーロッパを経済連合や政治連合とは考えておらず、リベラル的価値観、つまり民主主義、法体系、人権、言論の自由といった価値の「クラブ」とみなしています。そしてロシアは現在そこに入っていない、だからEUからの関心と敬意が失われているのです。ドイツの政治家は、ロシアにおける「民主主義からの逸脱」を受け入れたくないのです。

その上、EUとロシアは、旧ソ連構成共和国において、地政学的に競合する関係にあります。EUは、ウクライナ、ベラルーシ、モルドバ、南カフカス諸国を、「リベラル」世界に心を惹かれている国々とみなしています。一方のロシアは、旧ソ連地域において、ユーラシア経済連合(EAEU)を構築しています。EUとEAEUとの間で戦略的パートナーシップを結ぶことがなぜそれほど難しいことなのか、私には理解できません。そうなれば多くの問題が解決するはずですし、政治家たちも、大西洋から太平洋までの統一ヨーロッパというコンセプトに目を向けるはずです。

『国際生活』:今年、新しいヨーロッパのためのパリ憲章から数えて30周年になります。歴史の新しい段階において、1990年のモスクワ条約、そしてパリ憲章の精神に戻ることは出来ないのでしょうか。

アレクサンドル・ラル:パリ憲章が調印されたのは、ソ連とワルシャワ条約機構が崩壊する前夜でした。西側の考えで行けば、パリ憲章はそれまでのヤルタ体制に代わるべきものでした。ヨーロッパの分割ではなく、民主主義と人権という共通のルールをすべての国が守ることを義務付けたのです。具体的には、パリ憲章によって、OSCEに基づいた新しい、「自由な」ヨーロッパを復興させるはずでした。しかし米国は、ヨーロッパの骨組みがNATOとEUによって縛られるように全力を尽くしました。その結果、西欧は民主主義の教師となり、東欧は民主主義をイロハから学ぶための机に座らされたわけです。OSCEは、東欧の民主化の「監督者」となってしまいました。そんなことが長く続くはずはありません。年々、OSCEの地位と役割は、以前のような意味を失っていきました。ヤルタ体制後の新しい欧州秩序を、西側だけでなく、すべてのヨーロッパ諸国の相互利益に基づいて建設するというチャンスが失われてしまったのです。

メルケルの後のドイツにおいて、ロシアとの関係改善につながる動きが生まれるとは今のところ考えられません。ドイツ連邦政府首相の候補者の中では唯一、ノルトライン=ヴェストファーレン州のアルミン・ラシェット首相がロシア寄りと言えます。他の候補者は違います。しかし、ヨーロッパにおける状況そのものが変化しています。米国が欧州と不仲になり、ヨーロッパは自分たちが手綱をとるべきだということを理解し始めています。米国からの独立の論理的帰結は、ヨーロッパ最大の国であるロシアとの協力の可能性を、イデオロギーにとらわれず、もう一度冷静に探ってみる必要がある、とヨーロッパの人々に自覚させることになるでしょう。

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