新型コロナウイルス対応におけるWHOの役割:パンデミック1年目の結果

アレクサンドル・アキモフ

ロシア科学アカデミー東洋学研究所経済研究部長、経済学博士

(翻訳:青林桂)

COVID-19パンデミックは、まずインフルエンザなど一連のウイルス感染症が流行している地域で新種の感染症として発生し、その数か月後には世界的現象となり、政府や国際機関に深刻な問題を提起した[2]。パンデミックは、純粋な医療の範疇を超えたあらゆる専門機関や国際機関に対する挑戦でもある。

パンデミック発生以前に醸成されてきたWHOの潜在性

1948年、このような脅威に対処するための組織が国連システム内に設置された。その組織とは、世界保健機関(WHO)である。人間の基本的人権の一つとしての健康的な生活を確保することがWHOの掲げる目標だ。WHOはその設立当初から、二つの課題に取り組んでいる。一点目が医療制度における共通課題であり、世界の疾病罹患率の分析や統計の基礎となる国際疾病分類の作成がその例である。そして二点目は、個別の地域的課題である。具体的には、第二次世界大戦で崩壊した医療制度の復興を目的として、1950年代初頭にWHO欧州地域事務局を設置したことなどが挙げられる。

これら二つの方向性に向けた取組みは、WHOの歴史を通じて横断的且つ相互影響しながら発展してきた。WHOの数々の実績の中で特筆すべきは、ポリオ・麻疹・天然痘などの感染症のワクチン研究と接種である。とりわけ、1979年の天然痘撲滅は最も顕著な功績だ。これは、最貧困国を含む世界中の国々で、天然痘予防接種を12年に亘り推進した末に達成された偉業である。

WHOが達成したもう一つの重要な成果は、医療従事者の活動の標準化である。患者への標準的な対応を可能とする初期診療や、熱帯病を始めとする危険性の高い疾病の発生・拡大防止対応など、あらゆる分野における標準化が推進された。

WHOにとって深刻な試練となったのが、後天性免疫不全症候群(エイズ)の発生と流行である。1983年から1987年にかけて、WHOはエイズとの闘いを最優先事項として注力していた。近年はエボラ出血熱が流行している。これは1976年に初めて確認された感染症で、患者の死亡率の高さを特徴とする。2014年には西アフリカでエボラ出血熱が発生し、感染源となった地域から国境を越えて拡大した。WHOの努力により、2016年には感染拡大を食い止めることに成功した。

この様に、WHOは感染症の撲滅に向けた闘いや、感染症対応に向けた国際的な取組みの調整において豊富な実践経験を積んだ機関である。2019年時点の国連システムには、プロフェッショナルな職員、感染症のモニタリングと流行防止を担う完成された国際体制、そして各国の医療制度との強固な繋がりを有するWHOという組織が存在していたのである。

COVID-19発生以前のWHOの組織機構は枝分かれしており、ジュネーブの本部・6の地域事務局・149カ国の事務所を擁していた。管轄地域はアフリカ・米国・東南アジア・欧州・東地中海・西太平洋である。

WHOの職員は7千人以上におよび、その中には医師、公衆衛生分野の専門家、研究者、疫学者、更に管理事務・財務・情報システムの専門家、保健統計・経済・危機管理分野における熟練の専門家が含まれている[11]。

COVID-19パンデミックにおけるWHOの取組みは、情報と組織という二つの主要な構成要素に分けられる。罹患者の回復にはその国の医療機関が対応し、政府機関は国の医療制度を管理する。国内企業並びに多国籍企業は、医薬品や医療品の生産とワクチンの開発・製造を行う。WHOは、感染症に関する情報提供と、ワクチンの開発・製造を始めとする様々なパンデミック対応手段を開発する各国政府、国際機関、非政府組織、企業、そして学術機関の取組みを組織し調整する役割を担っている。

WHOの情報活動は二つの方針が柱となっている。一点目は病状の推移・感染症の拡大状況・治療法に関する情報を収集し、医療業界や保健機関へ提供することであり、二点目は一般に向けた勧告を作成し、普及することである。

医療従事者及び一般市民に向けた情報提供

COVID-19流行の初期段階におけるWHOの活動は、医学界を対象とした情報分野に重点が置かれていた。既に2019年12月31日の時点で、WHO中国事務所は、武漢市衛生健康委員会の「ウイルス性肺炎」発生に関するメディア向け公式発表に着目している。2020年1月1日から2日にかけて、WHO事務所と中国保健当局はすぐさま情報交換を実施した。WHOは支援を申し出るとともに情報提供を要求し、危機対応グループの警戒態勢を最高レベルに引き上げた。

危機対応グループの指針である国際保健規則(IHR)は、2005年に制定されている。これは、早期診断・リスク評価・リスク対応に関して定めた規則であり、リスク対応の対象項目には、管理体制、国家機関並びに国際機関の活動の調整、技術的支援、医療業務、そして物資援助などが含まれている[3]。つまりWHOは、医療・公衆衛生分野における有事対応のための既存システムを既に1月初頭に実行していたのである。

1月5日以降、WHOは全ての国がアクセスすることのできる緊急情報システムを通じて、新型感染症の情報を発信している。情報には二種類あり、一つは新型肺炎への基本的な予防法に関する内容、もう一つは症状説明や罹患者数などの医療従事者を対象とする専門的な内容である。

1月9日、遂に中国の医師たちが肺炎の病原体は新型コロナウイルスであると公表すると、WHOは第一回国際専門家会議をオンライン開催した。その後、1月10日から12日には各国政府と医療当局に向けて、新型感染症対応に関する勧告を発布した。また、1月14日の記者会見では、遂にウイルスのヒトからヒトへの感染が確認されたことを発表している。

1月16日より、WHOの地域事務所は海外渡航、感染防止と感染制御、そして臨床研究に関する勧告の発出を開始した。

1月11日に中国でコロナウイルスによる最初の死者が確認されると、WHOは新型コロナウイルス感染症の危険性が明らかになるまで国際対応メカニズムを実行することとし、対応の先手を打った。またWHOは、COVID-19が国家レベルで認知されるようになってから半月ほどで、新型コロナウイルス感染症とその危険性に関する基本情報を収集・分析し、医学界及び一般へ展開している。更に、感染症モニタリングと流行対策メカニズムを導入し、新たな人類の脅威であるCOVID-19の病原体解明に向けた調査を開始した。

1月17日より新型コロナウイルス発生原因のモデル化と分析をミッションとする調査団会合が開始された。また、1月20日から21日にかけて、WHOはCOVID-19の発生地である武漢の状況調査を目的として専門家チームを派遣した。COVID-19の治療法研究も始まり、1月25日には新型コロナウイルスに関する第一回目のオンライントレーニングがWHOのプラットフォーム上で開催された。

COVID-19の発生が確認されてからひと月後となる1月27日から28日にかけて、WHO事務局長テドロス・ゲブレイェソスを筆頭とする派遣団が北京を訪問し、中国の感染症対策とWHOの支援内容について中国指導部と意見交換を実施した。テドロス事務局長と習近平総書記の会談では、中国とWHOの相互協力に関する問題が議論され、国家最高レベルでの取決めが成立した。中国とWHOは、武漢での感染流行を阻止し、武漢以外の都市における流行を回避するための対策や、新型コロナウイルスの調査を目的とした多国籍専門家チームの北京派遣などに合意した。

2月12日、WHOは、初期の勧告内容を具体化し更新した形で「国における備えと対応を支援するための運用計画ガイドライン」を発行した[7]。同文書は、COVID-19拡大に対処するための方策を体系化し、この内容に沿った対応を呼びかけるものである。具体的には、感染症対応に必要な次の項目が柱とされている。

  • 国レベルでの調整・計画・モニタリング
  • リスク伝達及び各国の医療当局と一般市民の相互協力
  • 感染症の発生動向調査
  • 緊急対策チームの機能と症例調査
  • 入国時の検疫
  • 感染予防と管理
  • 患者の治療
  • 運用支援及び感染症対応に必要な装備の確保

以上8つの項目は、過去の感染症対応経験を基に整理されたものだが、文書全体を通して新たな環境下における行動指針が提示されており、不要な試行錯誤を回避することが可能となっている。この新たな勧告文書には、エボラ出血熱の流行に対応する過程で得られた知見が特に活かされている。

コロナ発生後の最初の2か月間は、WHOが医学界への情報提供活動に最も集中していた時期だった。その後も、情報提供という課題が完全に解消されることは無いが、文書等で取り上げられ問題提起される頻度は大幅に減少している。

3月20日より、メッセージアプリWhatsAppで「WHO Health Alert」という情報提供サービスが開始された[10]。対応言語は、アラビア語・ベンガル語・ダリー語・英語・フランス語・ハウサ語・ヒンドゥー語・イタリア語・スワヒリ語・ラトヴィア語・ソマリ語・スペイン語・タミール語・ポルトガル語・ウルドゥー語であり、これらいずれかの言語を操ることのできる医療従事者は、WHOが検証し発信する情報に直接アクセスすることが可能となった。

感染症の発生から半年後となる7月9日、WHOは新型コロナウイルスの感染メカニズムに関する科学文献の改訂版を発行した。同文献には、これまでに蓄積されたデータがまとめられている。また、WHOは11月20日にコロナ治療薬の利用に関する勧告を発行した。

WHOの活動は、各国の医療機関との専門的な取組みが基本であり、一般市民との協業に軸足が置かれているわけではない。しかし、COVID-19対応においては、一般向けの行動ガイドラインを普及する活動も行っており、1月29日には公共の場でマスク着用を促す勧告を出している。更に2月5日以降、WHOはメディア向けデイリーブリーフィングを開始し、新型ウイルス感染症に関する情報を提供している。

情報提供の取組みは広い対象に向けられている。3月23日にWHOはFIFAと共同で「正確に狙い撃ち:5つのパスでコロナウイルスを蹴り出そう」という啓発キャンペーンを開始した。世界的に有名なサッカー選手を巻き込み、手を洗う、マスクを着用する、顔に触れない、ソーシャルディスタンスをとる、そして体調が優れないと感じたときは外出しないなどといった感染予防対策の励行をファンだけでなく全ての人々に向けて呼びかけている。

COVID-19の流行開始から三か月が経過する頃には、感染拡大の規模と深刻度は更に高まっていた。人々は感染対策の方法を真剣に模索し始め、市場には対策に有効とされる商品が盛んに流通するようになった。不正な医薬品の流通を防止するために、WHOは3月31日に一般消費者・医療従事者・医療機関に向けて、COVID-19対応に悪影響を及ぼす不正な医薬品の入手と利用の回避を注意喚起している。このような情報は「Viber」というアプリのWHOチャットボットでも発信されている。

ところが、6月になる頃までには新たな問題が現れ始めた。COVID-19にまつわる情報の氾濫と、不正確で信頼性の無いデータの拡散という問題である。6月29日、不確かな医療情報の大流行すなわちインフォデミック対策に関する初めての会議が開催された。