現代世界における東スラブ文明の運命

ネストル(ドネンコ)

ヤルタ主教

(翻訳:安本浩祥)

兄弟姉妹の皆さん!

 今日の世界のなかでは、統一への意志というのが我々の意志のなかでも中心的なものであるということをお話したいと思います。我々が生きているのは東キリスト教文明、つまりロシア世界であり、その中心は今も昔もキリストです。歴史上の偉人たちはみな、キリストから生まれ、キリストへと戻っていったのです。これこそ天なるものと地なるものとの合一であり、永遠と瞬間が織りなす唯一無二の歴史であります。

 その際、ウラジーミル大公に触れないわけにはいきません。彼の受けた洗礼は、彼個人にとどまりませんでした。ウラジーミル大公は、自らの周りに洗礼を受けさせ、さらにはキエフ・ルーシ全体に洗礼を施したのです。キリストとの出会いという経験は、ウラジーミル大公によって世代を超えて受け継がれ、その後1000年にわたって、我々の文明はその選択の正しさを証明してきました。我々の文明は優れた軍人、貴族、聖職者、修道士、商人、農民などさまざまな人々を生み出しました。各々の時代、各々の階級において、異なる政治的、社会経済的条件のなかで、選択の正しさが示されてきたのです。

 ウラジーミル大公のキリスト教化により、ルーシは地上の歴史のみならず、天上の歴史の担い手ともなり、世界史の完全なる参加者になったことはとても重要なことです。大公の選択は、20世紀の新しい殉教者たちによって再確認され、現代においても有効性を失っていません。何世紀にもわたって、その選択は文化と国家の礎となり、まさにそれゆえに、我々の敵はそれを侮辱し、破壊し、葬り去ろうとしてきました。

 我々の歴史においても、このパラダイムを変えようとする試みが多くなされ、一つもうまくいかなかったにもかかわらず、我々の精神性を壊し、過去を否定し、未来を奪おうとする動きがあります。1000年にもわたって、大公の選択は、軍人や聖職者、学者、詩人、思想家という様々な人間の創造力、信仰、さらには手に武器をとることもいとわずに、その正しさが示され、領土保全と国民精神が守られてきました。ロシアが戦ったすべての戦争は、地上の祖国の天上的使命を守るためのものでした。それによって国の偉大さが生まれ、今日でもそれは必要とされています。

 もう一つ重要な点があります。洗礼をうけたことにより、ウラジーミル大公はビザンツへの窓を開け、その文明と文化、さらにはギリシャ・ローマ世界の歴史と精神への道を開いたことです。そのエネルギーがキエフ・ルーシに流れ込み、偉大な文化でルーシを満たすのです。ビザンツの息遣いは、キエフ・ルーシの礎となりました。

 次の偉大なる聖人であるアレクサンドル・ネフスキー公は、コンスタンチノープルを征服したばかりのヨーロッパ人たちと戦い、大ステップへの窓を開き、キプチャクハン国の帝国を受け継ぎました。

 もう一つの窓は、ピョートルをきっかけにして、ヨーロッパによって開かれました。この窓をきっかけに、我々の世界には有毒なエネルギー、いかがわしい考え、スムータ、疫病、そして最後には革命を生み出した思考様式が入ってきました。自分自身の精神、文化、文明を取り戻すことは、今に至るまで我々の最も重要な課題です。我々は、経済的、文化的、政治的な様々な危機を乗り越えてきましたが、その最悪の危機は我々のアイデンティティの危機です。我々は自身の使命、目的を見失ってしまいました。偉大なるロシアを復活させるためには、もちろん、フランス人やドイツ人、ポーランド人の頭のなかにおけるロシア像を正しいものにしなくてはなりませんが、まず第一に、そのロシア像というものをロシア人、それはロシアの住人のみならず、ベラルーシ、ウクライナの住人をも含みますが、そのロシア人自身の頭の中に描きなおさなくてはなりません。偉大なる帝国像が天からの啓示と地上での計画によって形成されたとき、初めてすべてが一つになり、新しい意味を持ち、神に祝福された目的を見出すのです。

 我々の世代は、無責任な熱狂をもってヨーロッパを志向しました。しかしそれは我々が愛するヨーロッパ、偉大なるロマン様式とゴシック様式の教会、唯一無二な文化、哲学、絵画、文学をもったヨーロッパではなく、安楽死、国家社会主義、ファシズム、少年司法といった「新しい価値」のヨーロッパです。その新しいヨーロッパは、我々に対するのと同様に、自らのキリスト教の過去に対しても敵対的であります。我々が知り、愛する偉大なるキリスト教文化、ドストエフスキーが「聖なる石」と呼んだあの文化は、いまのヨーロッパとは対極に位置しているのです。

 ヨーロッパを志向する形而上学的な損失はほかにも、彼らが乞食の如く施しを受けるのに必死であり、かつてのメトディウスとキリルのように信仰の道を説こうとしないこと、自らの宝を分け与えようとしないことにあります。それでも革命後の亡命者たちは、奪われ、脱がされた状態においても、他の民族にロシアの正教とロシアの文化を伝えました。

 ロシアの歴史においては、多くの激震がありましたが、それはすべて試練、わけても信仰の試練でありました。信仰こそが、かつてローマ人がいったように、野蛮人と区別するための特別の性質をもっています。

 先日、十字架挙栄祭が行われました。十字架は悪意と憎悪によって生まれましたが、神の愛に出会うことによって、救いと喜びの手段となります。磔刑に処せられたキリストは、我々を呪いと死から贖いました。

 この人生において悪と出会うことは避けられませんが、それを神の恵みにより勝利に変えることができるかどうかは我々にかかっています。勝利はいつでも新しい現実であり、新しい状況を生み出すためのきっかけになります。過去においてもそうでしたし、これからもそうであると信じたいと思います。

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