ベラルーシにおける政治動員および社会化の手段としての共通の歴史

デニス・マリツェフ

ロシア戦略研究所上級研究員

(翻訳:福田知代)

現代の東スラヴ三か国の共通の歴史は、11世紀以上――882年から1991年まで――にもなる。このため、共通の歴史、その記憶と歴史によって作り出された原形は、上記の国民を結集させ、彼らをその歴史から生じる規範と価値観のもとで団結させることのできる、強力な手段である。

けれども現在、ロシア、ベラルーシおよびウクライナは、個別の歴史を持った国々である。21世紀は、ウクライナだけでなく、ベラルーシもまた、歴史政策において、活発に神話創造に努める時代となった。ウクライナはロシアと非友好的国家であり、ベラルーシはロシアと同盟国であるという事実にも関わらず、両国における歴史政策の実態には、多くの共通点があった。

2019年に採択された、ベラルーシ共和国の情報安全保障大綱の中で、「歴史政策」という用語が導入された。文書の中では、国内外にいるベラルーシ民族にとっての理念として、国の歴史的過去と記憶モデルを確立する必要性が強調されている。この国民国家建設に向けた動きは、ウクライナで起こったものと同様である。

その後のベラルーシの歴史政策の方向性に関する基本的なアプローチは、ベラルーシ共和国大統領府の機関誌に発表された「歴史政策に関する課題に寄せて」という共同論文の中に記載されている。この論文は、国立科学アカデミーおよびベラルーシ安全保障会議の関係者によるものである。この中で、「ベラルーシ民族の歴史的過去の歪曲」の基本的な手法が指摘された。論文では、「ポロツク公国、トゥーロフ公国、キエフ・ルーシ、リトアニア大公国、ポーランド・リトアニア共和国といった国家における現代ベラルーシ人の祖先の重要な役割の否定」を、歴史の歪曲とみなすという主張が、当惑を呼び起こしている。上記の国家に関して、ベラルーシ人、ロシア人、あるいはウクライナ人のうちのどの民族の祖先が重要な役割を果たしたのかを明らかにしようとする試みは、かなり年代が隔たった過去の話であることから、非常に反歴史的な試みとなっている。

当時暮らしていた人々はみな、東スラヴ三か国の民族全体の祖先であり、そのいずれの民族・種族の自己認識も持ってはいなかった。ここに、現在のベラルーシ歴史学に典型的な、人種集団としてのベラルーシ人の歴史を人為的に過去まで遡らせようとする試みを見てとることができる。上述の論文の別の一節もまた、十分に多くのことを説明するものである:「ロシア寄りのメディアにとっては、『ロシア的世界』、アンチヨーロッパ主義、ソ連崩壊後の失地回復主義などの思想が特徴的である」。失地回復主義やベラルーシ人にとって異質であるかのようなロシア的世界のプロパガンダーーベラルーシ首脳は2019年、まさにこういった見方、認識でロシア政府の方針を捉えたのであった。

ベラルーシとロシアでは歴史の見方が一致しているとの意見があるが、実際には、1941年から1945年の大祖国戦争に関する点においてのみ、その意見は有効である。ベラルーシ史のその他の時期の記述は、ロシアで受け入れられている解釈とは異なるものである。

2000年代後半から、ベラルーシの独立を守るための思想的基盤として、古代史が検討されるようになった。古代ルーシの歴史の「ソ連的概念」は、ロシア史学とあまりにも多くの共通点を持っているため、ベラルーシ政府と民族主義者たちは一緒になって、「ベラルーシ国家の歴史」を作るよう知識人たちに要請したのである。

一連の古代国家群は、「ベラルーシ国家」として認識されている。

1. ポロツク公国

現在の公式見解によると、ベラルーシ国家はポロツク公国から始まるということになっている。この説では、ポロツク公国はすべての年代を通じて、キエフ・ルーシから独立した主権国であった。現在の歴史的解釈を支えているのは、偏りのある五巻立ての学術書『ベラルーシ国家史』である。この学術書の著者の一人オリガ・レヴコによれば、ポロツクは、のちに統一国家――キエフ・ルーシ――を形成することになる二つの別の中心地(キエフとノヴゴロド)と同格であったと主張している。

2.リトアニア大公国

現在のベラルーシ歴史学に特徴的なのは、リトアニア大公国を、リトアニアの国家ではなく、ベラルーシの国家と見なしている点である。ナショナリストらを惹き付けているのは、もちろん、かつて黒海からバルト海、ポーランドからモジャイスクまで領土を広げた国家である。リトアニア大公国の「ベラルーシ性」を証明すべく、現在のベラルーシの教科書や参考書の著者らは、歴史の中のリトアニアを、現在のベラルーシ領に置き換え、それを現在のリトアニアのジェマイティヤと区別している。結果的に、「リトアニア」はあたかもベラルーシの生粋の民族名称となり、ジェマイティヤはリトアニア大公国の地方都市であるということになった。

学術研究や一般向けの出版物の中では、リトアニア大公国において「ベラルーシ文化」のようなものが支配的であったと記述されており、その証拠として、国家の役割としてスラヴ語の使用が圧倒的優位であったことが挙げられている。これを論拠として、13世紀から16世紀におけるベラルーシの民族性の形成が説明されている。実際には、リトアニア大公国のスラヴ人たちは自らを「ルーシ」、「ロシア民族」、東方正教会と関連付けて自己認識を行っており、「ベラルーシ的」共通性をまったく自覚していなかった。これは、ロシアの歴史学だけでなく、近年までのヨーロッパ歴史学が認めていたことであり、そこでは、リトアニア大公国におけるベラルーシ的要素は無視されていた。けれども、歴史的事実は、新たなアイデンティティの確立の試みの中ですり替えられてしまっている。「リトアニア大公国における『ルーシ人』は『ベラルーシ人』と呼ばれており」、そして、リトアニア・ルーシは自らを真のルーシ人であると見なし、モスクワ・ルーシの住民をモスクワ人と呼んでいた、と説明されている。ここに、まったく同様のトリックを採用したウクライナとの完全な類似性を見て取れることができる。

3.ポーランド・リトアニア共和国

次の象徴的な点は、1569年のルブリン連合である。これは、よく知られているように、ポーランド・リトアニア共和国を形成するに至ったもので、ナショナリズムの派閥の代表者らの間では、これを肯定的に評価する見方が一般的である。反対に、1654年から1667年の戦争をめぐる出来事は、ロシアの中央権力による、小ロシアおよびベラルーシの地における「民族性強化のプロセス」のようなものの意図的な鎮圧として了解されている。こういった単純な方法で、20世紀に至るまでベラルーシ人およびウクライナ人が構成民族として不在であったことの「罪」がロシアに転嫁されているのである。

学校や博物館において、国民の間でリトアニア大公国とポーランド・リトアニア共和国の知名度を向上させるためのプログラムが数多く存在している。ベラルーシとポーランドが合同で行っている文化啓蒙運動のプログラムがある。事実上、ベラルーシとポーランドの間には、古代史の課題に関する矛盾は存在していない。実際には、ポーランド・リトアニア共和国の構成におけるベラルーシの立ち位置はほとんど植民地といっていいものであり、多くの歴史的資料によっても裏付けられている。これらの資料は、ヤコフ・トレシェノク(A.G.ルカシェンコ大統領は、彼を自らの教師と呼んでいた!)によって、著書『ベラルーシ史』の第一巻や多くの論文で引用されている。しかしこれら資料は、新たなイデオロギーの方針と調和しないため、無視されることになった。

その結果、ポーランド・リトアニア共和国は、ポロツク公国やリトアニア大公国に続く、ベラルーシ国家のもう一つの発祥の地として登場しているのである。

4.ロシア帝国の構成国。武装蜂起

急進的なナショナリストらは、言うまでもなく、ベラルーシの地がヨーロッパから引き離されてロシア帝国に編入された事実を、文明的な悲劇であると評価している。1812年の戦争はベラルーシにとっては祖国戦争などではなく、ロシアとフランスとの間の戦争であり、この「不必要な戦争」によって西部の住民には多大な苦難が招来された。

現代史においては、ベラルーシの歴史家が、ロシアとは異なる見方をしている歴史的事実や歴史上の人物が存在している。

とりわけ、2019年から2020年にかけて、ベラルーシ国民に対する大規模なPR活動が行われ、1863年のロシア帝国に対する武装蜂起とその指導者K.カリノフスキに注目が集まった。これは、ポーランドとリトアニアによる歴史観の押し付けが成功した顕著な例である。

2019年11月に実施された「蜂起の英雄たち」の改葬の式典によって、このテーマに対する関心が人為的に煽られることとなった。式典自体はリトアニアで行われたが、「ベラルーシの愛国者」を自認する数百のベラルーシ人が、祖国の英雄と見なしている人々の記憶に敬意を表するためにヴィリニュスを訪れた。ベラルーシの「自由のラジオ」は、式典の様子を8時間に渡ってオンライン中継した。改葬には、ポーランドとリトアニアの両国大統領、元ベラルーシ共和国最高会議議長S.シュシケヴィッチとI.V.ペトリシェンコ副首相が出席した。EU加盟国である両国の大統領は、この式典が何を象徴しているかをはっきりと述べた。とりわけ、ポーランドのA.ドゥダ大統領は、「1863年の武装蜂起は、我々の共通の国家を滅ぼし、我々の人民を奴隷的身分へと幽閉したツァーリの帝国に対するものだった」と発言した。

外交的ファクターと内政的策動を多角外交的ファクターと内政的策動を多角的に総合した結果、ポーランド、リトアニアおよびウクライナと共通する英雄に関連付けられた、ベラルーシ社会の歴史的記憶の新たな説が生み出された。認知されている歴史上の人物の存在はまた、2020年の8月から9月にかけてのベラルーシ反対派による抗議運動を容易にしたことも明らかである。抗議活動家も、国外にいる彼らの仲間たちも、K.カリノフスキの名前を利用するだけでよかったからだ。

2004年から2005年、および2013年から2014年にウクライナで起こった暴動、またベラルーシで2020年に起こった事件と違い、A.G.ルカシェンコ現大統領に反対する社会的抗議活動は、20世紀の象徴や民族的原形ではなく、ずっと古い14世紀から19世紀の象徴や民族的原形――リトアニア大公国の「パホニア」の紋章、18世紀から19世紀にかけてのロシア帝政に対して武装蜂起を行ったポーランド人およびリトアニア人像など――に基づいている。ポーランドおよびリトアニアとベラルーシ人の歴史的な運命の一致団結は、多くの知識人やベラルーシの社会団体によって喧伝され、A.G.ルカシェンコ政権によっても好意的に受け入れられているが、現代ベラルーシの国家像および民族性を根底から揺るがす「文化的地雷」ともなるのである。

事実上、21世紀にベラルーシにおいては社会層が「醸成」され、その社会層にとっては、ポーランド人およびリトアニア人が「同胞」ということになっており、ベラルーシ的アイデンティティは軽視されるか、あるいはこれらの国家なしには考えられないものになっている。これは、ヨーロッパによる研究補助金を通じてベラルーシの学者らの歴史的な思想を「必要な」方向に向けさせるなど、ポーランドおよびリトアニアのさまざまな組織の活動によって生じたもので、ベラルーシ政権によるこれらのプロセスに対する奨励も手伝った。現在の政治抗議運動は、この土壌で成熟したのである。

ベラルーシ共和国による歴史政策の「コスト」は、嫌ロシア感情に基いたベラルーシの民族理念の形成を試みる限り避けられない。多方面に渡る政治において、ロシアから独立した「歴史的主権」のようなものを手に入れようと試みながら、ベラルーシはポーランドの歴史政策への依存を強め、自らの主権を失おうとしているのだ。政治的リアリズムの観点から、ベラルーシがどの歴史的伝統――ロシアあるいはポーランド・リトアニア――に同調していくのかという点が課題である。ベラルーシの選択は、現在の政治的危機がどのように解決されるかにかかっている

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