アレクセイ・グロムイコ

ロシア科学アカデミー・ヨーロッパ研究所所長、A.A.グロムイコ外交政策研究協会会長、ロシア科学アカデミー準会員

(翻訳:中村有紗)

今年、我々の国、そして世界では、第二次世界大戦の終結と国連の設立という歴史的な出来事の記念日を迎えます。今我々はヤルタにいますが、すぐ近くにはリヴァディア宮殿、ボロンツォフ宮殿、ユスポフ宮殿があり、少し先にはサキ飛行場があります。これらの場所を聞いて、「ビッグ3」によるヤルタ会議の響きを感じることは、歴史家にとって難しいことではありません。今年の会議のテーマとして、「歴史的記憶」、「地政学的地殻変動」、「大国の戦略」などのカテゴリーが設定されています。

しかし、私が報告のテーマとして選んだのは、ベラルーシの政治的状況です。このような話題は、一見するとローカルなもののように見えますが、実際には先に述べたようなグローバルなカテゴリーと切っても切れない関係にあります。

最近の出来事を考えれば、(ロシアとベラルーシの)連邦国家のみならず、ベラルーシそのものの未来について、根本的に問い直すべきかもしれません。例えばウクライナのように、文明的に分断された国家ではないと私は考えています。それは、ベラルーシの国家にリトアニアとポーランドが大きな影響を与えたという歴史的事実とも矛盾しません。これはあまり科学的概念ではありませんが、もしもS.ハンチントンの文明区分という概念を用いるならば、その区分の境界はベラルーシを分断しているのではなく、国境の西側を通っていることになります。

最近、ベラルーシの社会経済状況について反対勢力からの批判が多くなっています。このような批判のほとんどは、私たちを取り巻く世界についての知識が乏しいことに起因しているように思います。ベラルーシの社会経済システムの状態、人間開発指数、社会福祉指標は、ここ数年ずっと世界のほとんどの国よりも高く、ポストソビエト空間全体でも最高の水準を保っています。

ここで重要なのは、ベラルーシのロシアへの依存度が過去数十年にわたって高まってきたのは、特定の個人やグループの行動によるものではなく、両国の統合(もしくは再統合)という客観的な社会経済的プロセスによるものだということです。その結果、移動の自由という共通の空間が生まれ、むしろ深い貿易、産業、科学、軍事の協力関係が生まれました。もちろん、このようなプロセスには常にサポートが必要であり、ベラルーシの政権はそれをずっと提供してきました。

2020年8月9日に行われたベラルーシ共和国の大統領選挙の結果、国内外における政治状況が一変しました。いままで比較的容易に行われてきた政権延長は、6度目にして問題に直面しました。国内の政治リスクは計算に入っていなかったのです。8月9日の選挙を利用してスムーズな政権移行を行うという計画は破棄されたといってよいでしょう。ミンスクが「全方位外交」に役に立つ限りにおいて、アメリカとEUから有利な条件を引き出せるとの見通しは崩れました。ベラルーシに対する近隣諸国や欧米全体の行動の真の動機は、思っていたものとはまったく違っていたのです。

8月9日に起きた国内政治の危機は、内部に原因がありました。例えば、近年では経済の多角化に関する政府の政策が大きく進展したことを反映して、大きな中産階級が出現していました。しかし、原理的にはポジティブであるこの点は、政治的プロセスや政治システムの近代化計画においては考慮されませんでした。また、比較的小さな領土と人口規模を考えると、ベラルーシにおいてミンスクは過度に集中した首都になっています。つまり、「この町を反対勢力の拠点にすれば、国全体の政治を不安定化できる」というわけです。まさにその通りのことが起こりました。

この危機は、効果的な政党政治システムが存在しない中で、政治システムの広範な脆弱性を露呈しました。その結果、抗議活動の矛先は大統領に向くことになり、他に批判の対象となる政治主体がなかったのです。ここで重要なのは、当初、反ロシア感情が抗議活動に与えた影響はごくわずかだったということです。選挙後の最初の数日間で余りにも暴力的な弾圧手法がとられたために、抗議活動の規模が拡大し、過激化していきました。政府高官は公式に謝罪しましたが、すでに高まった国民感情を抑えることはできませんでした。

瞬く間に外部勢力がゲームに参入し、キエフ・マイダンの再現を探り始めました。例えば、ミンスクの中心部でデモ隊が死亡した現場に欧米の外交官が集団で献花したことがその一例です。一方、8月初めの抗議行動には、間接的にしか関与していなかった国民のセクター、つまり大規模な国有企業の労働者たちが抗議行動に引き込まれていきました(あまりうまくはいきませんでしたが)。

これほどの規模の無許可デモを想定していなかった政府は、しばらくの間、十分な情報政策がとれませんでした。しかし、その後の対立の中で、大きな成果を上げることができました。いわゆる「ベラルーシ再生に向けた改革パッケージ」プロジェクトなどにおいて、反対勢力の急進派と反ロシア感情とのつながりが明らかになったのです。この問題で反政府勢力は、この事実を無視したり、存在しないことにしたりして、防戦一方に追い込まれています。

ミンスクにとって最も緊急なことは、改革アジェンダの推進、政治改革や憲法改正、中期的ではあるが新たな選挙の見通し、明確なロードマップの提示において、イニシアティブを取り戻すことに変わりありません。これについて、ロシア政府は繰り返し、明確な見解を示しています。

9月の状況は、どちらも(政権側も反対勢力側も)状況を根本的に変えることができなかったという意味で安定していました。対立は長期化しています。反対派の一部を海外に追いやることで、戦術的な問題は解決しましたが、海外のプレーヤーはベラルーシ国内の状況に外部から影響を与える機会を得て、同時に地域的・国際的な規模で反ロシア感情を扇動しようとしています。

国内の状況が、S.チハノフスカヤに関して長い間取り沙汰されていたベネズエラ・シナリオを回避できたのは、次の要因によるものだと考えています。それは、ロシアの仲介と、モスクワから西側諸国の首都に送られた明確なシグナル;EU主要諸国が実感している通り、国境に「もう一つのウクライナ」ができることへの懸念;他の問題で忙殺されていたワシントンが基本的にベラルーシで起こっていることに無関心であり、宣言的な発言だけにとどまったことです。また、チハノフスカヤの人物性の弱さも一因となっており、欧米諸国が彼女に賭ける決心をするための材料が不足していることがあります。例えば、事件の渦中に巻き込まれたこの政治的に未熟な人物が、社会学的な計算はもちろん、常識そのものに反する形で、自分を選挙の勝者であり、大多数のベラルーシ人のリーダーであると宣言したことは、多くの人にショックを与えました。

ミンスクにとっての深刻な課題は、ベラルーシの社会で親欧米派の感情が高まっていることです。現在、人口の約4分の1がその影響を受けていると考えられます。しかし、この割合は30歳以下の年齢層でより高くなっています。国内の親欧米派の活動家やNGOの資金調達や活動のネットワークがさらに活発化し、海外でもヴィリニュスやワルシャワを中心に彼らを支援するインフラが充実していくことが予想されます。

見通しとしては、専門家によれば、国内の政治状況が長期的に維持されるシナリオもあり得ますが、それはミンスク自身にとっても、連合国家の一員でありその最も近いパートナーであるロシアにとっても、戦略的に不利なものです。

反政府抗議運動は、強制的な政権交代のシナリオを実行しようとしていますが、これは高い確率で状況をあからさまな国内紛争へと変化させるでしょう。効果的な改革のシナリオとしては、2022年に早期選挙を実施して大統領=議会制の共和国に移行することが挙げられます。大統領=議会制について、その導入はベラルーシの国内政治や経済におけるアクターの増加につながり、それらの間を取り持つための絶え間ない努力が必要となります。しかし、この国にはそのような経験がありません。

最後に、ベラルーシとロシアの経済統合深化のための環境整備が、今日ではかつてないほど重要であることを指摘したいと思います。そして何よりも、ジョイントベンチャーを増やし、共通のバリューチェーンを持つ深い産業協力を行うことです。若者の関心事に焦点を当てて、科学、文化、社会的組織の間の本格的な対話を強化することも同様に重要です。

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By KokusaiSeikatsu

『国際生活』はロシア連邦外務省を発起人とする、国際政治、外交、国家安全保障の問題を取り扱う月刊誌です。創刊号は1922年、『外務人民委員部週報』として出版され、1954年に『国際生活』として、月刊誌として復刊しました。今日、ロシア国内だけでなく、世界各国においても幅広い読者を獲得しています。