これに関して、事あるごとに何度も発言してきたのが、ロシア大統領である。このテーマで数多くの国際会議やフォーラムが開催され、ロシアや国外の出版社から論文やその他の資料が出されている。けれども、それにもかかわらず、率直に言って、特に、ヨーロッパやその他の地域に向けた対外的な歴史的事実の普及という点において、我々は、いまだに大きな成果を挙げることができていないのである。これらすべての問題の所在を、新たな冷戦や複雑な国際情勢に転嫁することは容易ではあるが、問題はそこにのみ存在するのではない。新たなアプローチを模索していく必要がある。

 明確な似たような出来事がある。ソ連が1957年にスプートニクを初めて打ち上げ、1961年に世界初の宇宙飛行士ユーリー・ガガーリンが宇宙に向けて飛び立った時期は、冷戦のピークであったことを思い起こしてみよう。ヨーロッパとソ連との関係は、おそらく今以上に最悪なものであった。けれども、ユーリー・ガガーリンは、全人類の英雄となったのである。ガガーリンはパリで大いにもてはやされ、ロンドンでは、バッキンガム宮殿でエリザベス女王に謁見したりなど、各国で歓迎を受けた。

 ソ連の宇宙開発における功績への態度が変化したのは、その少し後、アメリカが宇宙レースでソ連を追い抜いた時期である。人々にとって、現在を通して過去を見るのは、至極当然のことである。もし、ロシアが新たな境地へ到達していたら、もし、ロシアが宇宙レースで再びアメリカを追い抜いていたら、Y.ガガーリンやG.チトフ、そして世界初の女性宇宙飛行士ワレンチナ・テレシコワについて回顧されていたであろう。

 我々は、大祖国戦争時における出来事の解釈に関する状況を、これと同じように見ることができる。戦争におけるソ連の功績を評価するために、今、他国のリーダーや文化協会のリーダーは、調停者としての現在のロシアと歴史の中のロシアを評価しなければならない。そのための土台はすべてそろっている。ロシアは、自らの調停者としての役割に関する情報の拡散ために、より多くのことを行うことができる。

 たとえば、わが国には現在のところ、ロシアの調停と人道的な活動を扱った現代的な博物館を作るのに適したタイミングがないのである。国連の調停作戦博物館は存在する。これはモスクワから列車で二時間のソルネチノゴルスクにある。博物館の面積は100平方メートルで、1990年代に設立された。けれども、ここを訪問するためには、事前の予約が必要である。外国人がここを訪れることは、めったにない。そして、全体として、博物館は、国連の枠内における調停のみが展示されている。しかしながら、我が国には、戦闘や戦争の歴史、軍事システムを学ぶことのできる、質の高い軍事博物館が数多く存在している。

 これはすべて確かなことなのであるが、ロシアの調停者および人道的活動は、戦時中の役割だけに留まらない。調停と人道的活動の博物館が、すでにロシアのニコライ二世によって国際会議で立案され支持を得た、外国公文書の認証を不要とする条約のようなテーマも盛り込むことができれば理想的である。「外国公文書の認証を不要とする条約」という文言は、フランス、イギリス、アメリカ、カナダ、ドイツの兵士や将校の、文字通り一人ひとりが知っている言葉だからである。1899年および1907年の議会招集に寄与した人物が誰であるかを知っている人は、多くはない。これに関しても、発信していく必要がある。

By KokusaiSeikatsu

『国際生活』はロシア連邦外務省を発起人とする、国際政治、外交、国家安全保障の問題を取り扱う月刊誌です。創刊号は1922年、『外務人民委員部週報』として出版され、1954年に『国際生活』として、月刊誌として復刊しました。今日、ロシア国内だけでなく、世界各国においても幅広い読者を獲得しています。