トランプ氏とトランプ主義は、こうした姿勢に疑問を投げかけ、米国の社会政治システムの基本的な価値観や制度のいくつかに疑問を投げかけました。トランプ氏とトランプ派の人々は、「米国第一主義」という原則に導かれ、問題がグローバルなものであっても、国家レベルで解決することができるし、そうすべきだと確信しています。彼らは、グローバリズムにナショナリズムとポピュリズムで対抗し、「ディープ・ステート」という考え方に「ディープ・ネイション」という考え方で対抗し、「ワシントンの沼から水を抜き」、ワシントンの官僚機構から国民に権力を取り戻すことを目指していると宣言しました。また、リベラリズムやリベラル・一極集中型の世界秩序の主要な考え方を否定したことも重要でした。これらすべての関連する側面において、トランプ氏の政治戦略は、コンサーバティズムあるいはナショナルコンサーバティズムの革命であると評価できます。その本質は、少なくとも、国民国家を再構築し、再国家化しようとする試みです。確かに、客観的・主観的なさまざまな要因が絡み合って、選挙戦で発表したプログラムを実行することはできませんでしたが、それはまた別の問題です。

もちろん、今日の世界では、二極世界秩序の時代のような、東と西の古典的で体系的なイデオロギーの対立はありません。しかし、米国を中心とした西洋と、ロシアや中国に代表される東洋との間の地政学的対立の距離、さらにその隔たりは着実に大きくなっています。しかし、この対立は絶対的なものではなく、その対立線は必ずしも地理的な線に対応しているわけではありません。

この分野における現在の状況の本質的な違いは、二極世界秩序の時代には、社会主義と資本主義のイデオロギーの正面からの対立がシステムの本質であったのに対し、現在の状況では、情報-イデオロギー-文化の戦争となっていることです。この戦争は、いわいる西洋と東洋の関係を貫いているだけでなく、西洋そのものの中においても、超国家的、地域的、国家的、準国家的なレベルで次第に実感されるようになっています。国や地域のレベルでは、一方でナショナリズムおよびポピュリズム、他方でグローバリズムおよび統合、という二つの傾向の間で闘争が繰り広げられています。

このような流れの中で、トランプのナショナルコンサーバティズム革命やトランプ主義そのもの、さらにはEUの基盤を損ねる民族主義、ユーロ懐疑主義、分離主義などのヨーロッパのバリエーションも評価されるべきではないでしょうか。つまり、かつての二極化した世界秩序の中では、法を犯すことなくして越えられないレッドラインは誰の目にも明らかでしたが、現在の状況では、そのような明確な自明性は存在しないのです。

外部からの挑戦に対するイデオロギー的反応

歴史と現代世界の経験が示すように、地政学的な現実に基づく議論がうまくいかないときには、イデオロギーが前面に出てきて、問題となっている国家が世界の状況を望ましい形で解釈するようになります。世界政治においてさまざまな重要性を持つ個々のアクターは、他のアクターが同盟国であろうと敵対国であろうと、その国益を理解し、認識する必要があるというのは、外交の基本原則の一つですが、イデオロギーが前面に出てくると、その基本原則が犯されたり、無視されたりします。

バイデン政権が外交戦略のイデオロギー化に注力したことは、この仮説の有効性を示しており、米国が現代世界で最もイデオロギーに満ちた国の一つであることを示しています。これは、オバマ政権のイデオロギー的遺産を採用したと言えますが、オバマ大統領自身は、共和党のブッシュ・ジュニア大統領から多くを受け継いでいました。オバマの外交戦略は、ネオコンのアイデアやコンセプト、特にいわゆる「民主主義革命」を輸出する政策によってほとんど形成されていました。また、ある意味でこの戦略の絶頂ともいえる「アラブの春」は、オバマ政権下で始まったことにも注目したいところです。イデオロギー=情報=政治=文化的な基本要素をすべて備えたリベラル/一極集中型の世界秩序も、オバマ大統領のもとで頂点に達しました。

By KokusaiSeikatsu

『国際生活』はロシア連邦外務省を発起人とする、国際政治、外交、国家安全保障の問題を取り扱う月刊誌です。創刊号は1922年、『外務人民委員部週報』として出版され、1954年に『国際生活』として、月刊誌として復刊しました。今日、ロシア国内だけでなく、世界各国においても幅広い読者を獲得しています。